帝国議会と明治憲法(大日本帝国憲法)が生んだ近代日本の政治制度をテーマに、男性1%のみが投票できた第1回選挙や政府と民党の対立、選挙権拡大の流れなどを通じて、現代の民主主義の原点をコンパクトに紹介します。
この記事のポイント
- 自由民権運動がどのように国会開設を実現させたか
- 伊藤博文が中心となって進めた大日本帝国憲法制定の過程
- 日本初の国民選挙、第1回衆議院議員総選挙の実態
- 1890年11月29日の帝国議会開院式の様子
- 帝国議会が日本の政治と社会に与えた影響
なぜ議会が必要だったのか?自由民権運動と国会開設の背景
帝国議会が始まる1890年まで、日本には、国民の代表が集まる国の議会はありませんでした。
- 明治維新後の日本には、この状況を変えようとする大きな動きが生まれる
- 運動のきっかけは、1873年10月の政変であった
- 政府を離れた板垣退助は、1874年1月17日、仲間とともに『民撰議院設立建白書』を提出した
- 同年4月、板垣は故郷の土佐、いまの高知県で立志社という政治結社を創設した
国会開設への道!憲法制定と政府の準備
国会開設が決まると、政府は憲法制定の準備に取り掛かりました。その中心となったのが、伊藤博文です。
- 1882年3月、伊藤博文は憲法調査のためヨーロッパへ渡る
- 当時のヨーロッパには、大きく分けて二つの憲法の流れがあった
- そのため、君主権の強いドイツの憲法が日本に最適だと判断した
- ドイツで伊藤が教えを受けたのは、法学者のグナイストとシュタインであった
日本初の国民選挙!第1回衆議院議員総選挙の実施
憲法と選挙法が発布されると、日本初の国民選挙に向けた準備が始まりました。
- 1890年7月1日、火曜日
- 対象は、直接国税を15円以上納める25歳以上の男性であった
- 当時の15円という金額は、現在の感覚では数百万円にも相当するといわれる
- 結果として、選挙権を得られたのは全人口のわずか約1.1パーセント、およそ45万人であった
歴史的瞬間!帝国議会の開院
1890年11月25日、第1次山県有朋内閣のもとで、第1回帝国議会が召集されました。
- 勅選議員とは、国家への功績や学識を認められ、天皇が任命した人々
- それでも時がたつにつれて、政策を学び合う会派や、親睦を深める集まりが生まれていく
- 開院式は、玉座が置かれた貴族院の議場で行われた
- 壇上の明治天皇と、その前で勅語を受け取る山県有朋首相の姿もしっかりと残されている
帝国議会が日本に何をもたらしたか?その意義と課題
帝国議会の開院は、日本の政治と社会に何をもたらしたのでしょうか。その意義と課題を考えます。
- それまで政治は少数の有力者が独占していた
- もちろん、選挙権を持つのは全人口のわずか1パーセント
- 板垣退助らが建白書を出してから、16年の歳月が流れていた
- 日本は東アジアでいち早く近代的な憲法と議会を整えた国として、欧米列強から注目される
流れで見る帝国議会開院
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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なぜ議会が必要だったのか?自由民権運動と国会開設の背景
帝国議会が始まる1890年まで、日本には、国民の代表が集まる国の議会はなかった
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国会開設への道!憲法制定と政府の準備
国会開設が決まると、政府は憲法制定の準備に取り掛かった
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日本初の国民選挙!第1回衆議院議員総選挙の実施
憲法と選挙法が発布されると、日本初の国民選挙に向けた準備が始まった
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歴史的瞬間!帝国議会の開院
1890年11月25日、第1次山県有朋内閣のもとで、第1回帝国議会が召集された
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帝国議会が日本に何をもたらしたか?その意義と課題
その意義と課題を考える