統帥権干犯問題はなぜ起きたのか。ロンドン海軍軍縮条約をめぐる政府と軍部の対立、浜口内閣の決断、そして日本が軍国主義へと向かう過程を、憲法解釈と文民統制の視点から解説します。
この記事のポイント
- 統帥権とは何か、明治憲法における軍と政治の関係
- ロンドン海軍軍縮会議の背景と対米7割論の意味
- 浜口内閣が条約批准を決断した理由と野党の批判
- 統帥権干犯問題が軍部台頭を招いた経緯
- 文民統制の重要性と現代への教訓
統帥権干犯問題とは何か?日本の運命を変えた憲法論争
統帥権干犯問題。一見むずかしそうな名前ですが、これは1930年に起きた、当時の日本を揺るがす大事件でした。
- 明治憲法、すなわち大日本帝国憲法では、この統帥権を天皇が持つと定めていた
- 作戦の指揮、いわゆる「軍令」は、天皇を補佐する軍の機関が担当した
- そして1930年、この曖昧さが大問題となる
ロンドン海軍軍縮会議の真相!なぜ日本は軍縮に応じたのか
統帥権干犯問題の舞台となったのは、ロンドン海軍軍縮条約。では、そもそもなぜこの条約が結ばれることになったのか。
- 1918年の第一次世界大戦終結以降、世界は軍縮の時代を迎えていた
- 1921年から1922年にかけて、ワシントン会議が開かれた
- 日本にとって、この「5対5対3」という比率は、まさに屈辱的であった
- ワシントン条約では、主力艦の数こそ制限されましたが――巡洋艦や駆逐艦、潜水艦などの「補助艦」には制限がなかった
浜口内閣の決断と大論争の勃発!統帥権は誰のものか
ロンドンで条約が調印されると、日本国内では激しい論争が巻き起こります。政府と軍部の対立が深まり、これが後に「統帥権干犯問題」と呼ばれる騒動の発端となりました。
- 軍令部長の加藤寛治は、条約の内容は国防上、到底受け入れられないと主張する
- とくに政友会の犬養毅や鳩山一郎らは、統帥権干犯問題を政府批判の道具として利用する
- 浜口内閣は、条約批准は正当だと反論した
- 憲法学者たちも、この問題に意見を述べた
軍部の台頭と民主主義の崩壊!問題が残した深い傷跡
統帥権干犯問題が残した影響は、ほどなくして現れ始めます。この「ねじれ」は、やがて満洲事変、そして二・二六事件へと続く、政治と軍事の緊張を生む土壌となっていったのです。
- 1931年9月18日、満州事変が勃発した
- 政府は、関東軍の暴走を止めることができなかった
- 1932年5月15日には五・一五事件が起きた
- 統帥権干犯問題以来、軍部の中にくすぶっていた不満があった
歴史が教える教訓!文民統制の大切さを考える
統帥権干犯問題から、すでに90年以上が経ちました。では、私たちはこの歴史から何を学ぶべきなのでしょうか。
- 第一の教訓は、文民統制の重要性
- 憲法第66条第2項と自衛隊法第7条によって、文民である首相が、自衛隊の最高指揮権を担うことになっている
- 軍隊は、国家の中で最も強大な力を持つ組織
- 明治憲法では、統帥権の規定があいまいなままであった
流れで見る統帥権干犯問題
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
-
統帥権干犯問題とは何か?日本の運命を変えた憲法論争
一見むずかしそうな名前だが、これは1930年に起きた、当時の日本を揺るがす大事件であった
-
ロンドン海軍軍縮会議の真相!なぜ日本は軍縮に応じたのか
統帥権干犯問題の舞台となったのは、ロンドン海軍軍縮条約
-
浜口内閣の決断と大論争の勃発!統帥権は誰のものか
ロンドンで条約が調印されると、日本国内では激しい論争が巻き起こる
-
軍部の台頭と民主主義の崩壊!問題が残した深い傷跡
統帥権干犯問題が残した影響は、ほどなくして現れ始める
-
歴史が教える教訓!文民統制の大切さを考える
統帥権干犯問題から、すでに90年以上が経った