1946年4月10日、日本で初めて女性が投票し、39名の女性議員が誕生しました。しかし、この権利を得るまでに、日本の女性たちは半世紀にわたる長い戦いを続けてきました。明治時代の法律による制限から、平塚らいてうや市川房枝らの運動、戦時下の弾圧、そしてGHQの改革による参政権獲得まで。女性参政権の歴史を、その後の課題も含めて解説します。
この記事のポイント
- 明治時代の集会及政社法や治安警察法が女性の政治活動をどう制限していたか
- 平塚らいてうや市川房枝ら女性運動家たちの活動内容
- 戦時下で女性参政権運動が直面した困難
- 戦前からの婦人運動とGHQの改革が重なり、1945年12月に選挙法が改正された経緯
- 1946年の選挙で39名の女性議員が誕生した歴史的意義
- 参政権獲得後70年以上経った現代日本の課題
なぜ女性には選挙権がなかった?明治時代の法律と社会
日本で初めて近代的な選挙が行われたのは、1890年のことです。この年、第1回衆議院議員総選挙が実施されました。
- 選挙権が与えられたのは、直接国税15円以上を納める満25歳以上の男性のみ
- 当時の社会には、女性の役割について固定的な考え方が根強くあった
- 女性には良妻賢母の教育が行われ、家庭を支えることが最も重要な役割とされる
- さらに1890年、集会及政社法という法律が制定される
立ち上がる女性たち!婦人参政権運動の夜明け
20世紀に入ると、女性の権利を求める声が少しずつ広がり始めました。その先頭に立ったのが、平塚らいてうでした。
- 1911年、平塚らいてうは青鞜社という文芸団体を設立し、雑誌『青鞜』を創刊する
- 青鞜社の活動は、当初は文学や芸術が中心であった
- 1919年、大正時代の終わりごろに、平塚らいてうと市川房枝を中心として、新婦人協会が誕生する
- 新婦人協会は、国会への請願や署名運動、演説会などを通じて、粘り強く世論に訴え続けた
弾圧と戦争の時代!消えかけた女性の声
1930年代に入ると、日本社会は急速に軍国主義へと傾いていきました。1931年の満州事変、そして1937年には日中戦争が始まります。
- 婦人参政権運動も、大きな困難に直面する
- 1940年、大政翼賛会が結成される
- 市川房枝をはじめとする運動家たちは、厳しい選択を迫られた
- 1941年、太平洋戦争が始まる
敗戦が転機に!GHQの改革と参政権獲得
1945年9月2日、降伏文書が調印され、日本はGHQの占領下に置かれました。GHQの最高司令官マッカーサーは、日本の民主化を強力に推し進めます。
- マッカーサーは、日本の女性があまりにも抑圧されていることに驚く
- 1945年10月11日、マッカーサーは首相の幣原喜重郎に「五大改革指令」を出した
- 日本政府は、この指令に従わざるを得なかった
- 満20歳以上のすべての男女に選挙権が、満25歳以上のすべての男女に被選挙権が与えられることになった
歴史的瞬間!1946年、39名の女性議員誕生
1946年4月10日、日本で初めて女性が参加する総選挙が行われました。この日を迎えるまでに、およそ半世紀もの歳月がかかったのです。
- 多くの女性にとって、人生で初めて投票用紙を手にする瞬間
- 男性の投票率は、およそ78.5パーセント
- この選挙には、79名の女性が立候補した
- 開票が進むにつれて、女性候補から39名が当選していることが明らかになる
参政権獲得後の日本!女性の地位は本当に変わったか
女性が参政権を獲得してから、70年以上が経ちました。日本の女性の地位は、本当に向上したのでしょうか。
- 法律の上では、男女平等が実現している
- 現在では、大学や短大、専門学校などへの進学率は、男女とも5割を超えるようになり、昔に比べて男女の差はとても小さくなっている
- 政治の世界における女性の立ち位置を、改めて振り返る
- 1946年の第1回選挙では、女性議員の割合はおよそ8パーセント台であった
流れで見る女性参政権は誰が動かした?平塚らいてうと市川房枝と新婦人協会
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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なぜ女性には選挙権がなかった?明治時代の法律と社会
日本で初めて近代的な選挙が行われたのは、1890年
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立ち上がる女性たち!婦人参政権運動の夜明け
20世紀に入ると、女性の権利を求める声が少しずつ広がり始めた
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弾圧と戦争の時代!消えかけた女性の声
1930年代に入ると、日本社会は急速に軍国主義へと傾いていいた
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敗戦が転機に!GHQの改革と参政権獲得
1945年9月2日、降伏文書が調印され、日本はGHQの占領下に置かれた
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歴史的瞬間!1946年、39名の女性議員誕生
1946年4月10日、日本で初めて女性が参加する総選挙が行われた