バブル経済とバブル崩壊の全体像を、プラザ合意による円高不況から金融緩和、土地と株の高騰、そして総量規制による崩壊と失われた30年まで、日本経済の流れにそってわかりやすく解説します。
この記事のポイント
- バブル経済とは何だったのか、当時の日本の熱狂ぶり
- プラザ合意と金融緩和政策がバブルを生んだ経緯
- 株価と土地価格が天井知らずに高騰した1980年代後半の実態
- 1990年4月の総量規制実施とバブル崩壊のメカニズム
- バブル崩壊が現代日本に残した失われた30年という遺産
バブル経済とは何だったのか?日本中が浮かれた狂乱の時代
バブル経済とは、1980年代後半から1990年代初頭にかけて、日本中が異常な好景気に包まれた時代のことです。
- このころの日本は、世界第2位の経済大国として飛ぶ鳥を落とす勢いであった
- サラリーマンのボーナスは右肩上がりで、企業の利益も膨らむ一方
- 1989年12月29日、その年の締めくくりとなる大納会で、日経平均株価は史上最高値の3万8915円を記録した
- アメリカのロックフェラーセンターやコロンビア映画を買収したニュースは、世界を驚かせた
なぜバブルが起きた?プラザ合意と金融緩和政策
なぜ、このような異常な好景気が生まれたのでしょうか。背景には、国際的な取り決めと日本政府の判断がありました。
- アメリカ・ニューヨークのプラザホテルで、先進5カ国による会議が開かれた
- 当時のアメリカは深刻な貿易赤字に悩んでいた
- 1ドル240円前後だった為替レートは、わずか2年後に120円台へ突入する
- 金利を下げてお金を借りやすくし、世の中にお金を回そうとした
バブルの絶頂期!土地と株が天井知らずに高騰した時代
1980年代後半、日本経済は狂乱の絶頂へと向かいます。株と土地、それぞれの動きを見ていきましょう。
- 日経平均株価は、1985年に1万3000円前後であった
- 東京都心の商業地は1坪あたり数千万円に達し、山手線の内側だけでアメリカ全土が買える
- 日本は国土が狭く、土地は限られているから価値は下がらない
- 工場を建ててモノを作るより、土地を転がしたほうが利益が出る
崩壊の始まり!弾けたバブルと失われた夢
1990年、ついにバブルが崩壊します。何が引き金となり、どう崩れていったのかを見ていきましょう。
- 政府や日本銀行も、バブルの危険性には気づいていた
- 2.5パーセントだった公定歩合は、1990年8月には6パーセントに到達する
- そして決定打となったのが、1990年4月に大蔵省が導入した総量規制である
- 銀行は一斉に不動産への融資を絞り込む
バブル崩壊が日本に残したもの!失われた30年への道
バブル崩壊の傷跡は深く、その影響は現代まで続いています。1990年代の停滞は「失われた10年」と呼ばれましたが、それだけでは終わりませんでした。
- その額は約100兆円にも達したと推計されている
- 貸し渋りや、無理やり資金を回収する貸し剥がしが横行する
- 終身雇用や年功序列が崩れ、企業は正社員を抑えて非正規を増やす方向へと進む
- モノが安くなるのは良いことのようだが、企業の売上が減り、給料も上がらない悪循環を生む
流れで見るバブル経済崩壊が就職氷河期とデフレを呼んだ理由
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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バブル経済とは何だったのか?日本中が浮かれた狂乱の時代
バブル経済とは、1980年代後半から1990年代初頭にかけて、日本中が異常な好景気に包まれた時代
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なぜバブルが起きた?プラザ合意と金融緩和政策
背景には、国際的な取り決めと日本政府の判断があった
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バブルの絶頂期!土地と株が天井知らずに高騰した時代
1980年代後半、日本経済は狂乱の絶頂へと向かう
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崩壊の始まり!弾けたバブルと失われた夢
1990年、ついにバブルが崩壊する
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バブル崩壊が日本に残したもの!失われた30年への道
1990年代の停滞は「失われた10年」と呼ばれましたが、それだけでは終わらなかった