概要欄
1964年10月10日、アジアで初めて東京でオリンピックが開催されました。敗戦から19年、焼け野原から立ち上がった日本が世界に復興を示した瞬間です。開会式では原爆の日に生まれた坂井義則が聖火ランナーを務め、女子バレー東洋の魔女が金メダルに輝きました。新幹線や首都高速の開業など、この大会は日本の社会と経済を大きく変える契機となったのです。
この記事のポイント
- 戦前に開催を返上した「1940年東京大会」と、1964年招致までの道のり
- 開会式で聖火ランナーを務めた坂井義則に込められた平和のメッセージ
- 女子バレー東洋の魔女の金メダル獲得と視聴率66.8%の熱狂
- 東海道新幹線と首都高速道路の開業など大規模なインフラ整備
- 戦後復興を世界に示し、日本人に自信を与えた大会の歴史的意義
幻の1940年東京オリンピックと悲願の招致
実は東京でのオリンピック開催計画は、1964年が初めてのことではありません。1940年にも一度、東京での開催が決まっていたのです。
- 1936年7月、国際オリンピック委員会の総会で、東京開催が正式に決まる
- 招致活動を率いたのは、講道館柔道の創始者・嘉納治五郎である
- 1937年に日中戦争が始まると、戦況の悪化とともにオリンピック開催への風当たりも強くなっていく
- 悲しいことに、返上が正式に決まる前、嘉納治五郎は帰国途中の船上で肺炎により亡くなってしまう
開会式と平和の象徴・聖火ランナー坂井義則
1964年10月10日の午後、国立競技場で開会式がいよいよ始まります。会場は7万人を超える観客で埋め尽くされていました。
- 実況アナウンサーも、「まるで世界中の青空を集めたようだ」と伝えた
- 93の国と地域から選手たちが集まり、参加国数は当時でも最多級であった
- 選手たちが次々と入場行進を行い、色とりどりのユニフォームが競技場を彩っていく
- そして15時過ぎ、最も感動的な瞬間が訪れた
東洋の魔女と日本選手の大活躍
この大会で、日本選手は目覚ましい活躍を見せました。特に印象的だったのが、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチームです。
- チームの中心は、大日本紡績貝塚工場、通称・日紡貝塚の選手たちである
- 1964年東京オリンピックで、バレーボールは初めて正式種目として採用されている
- ポーランド戦で1セットを失いましたが、他の試合ではセットを許すことなく勝ち進んだ
- そして10月23日、宿敵ソビエト連邦との決勝戦の日を迎える
新幹線と首都高速・インフラ整備の加速
東京オリンピックは、スポーツの大会であると同時に、日本のインフラを大きく変えるきっかけとなりました。
- 開業は1964年10月1日、オリンピック開会式のわずか9日前であった
- 東京と新大阪を結ぶ515.4キロメートルを、最高時速200キロを超える列車が走り、世界に大きな衝撃を与える
- ただし、新幹線はオリンピックのためだけに作られたわけではない
- 戦後、東海道本線の輸送力が限界に達すると、高速鉄道の建設が決まり、1959年に工事が始まる
世界に示した日本の復興とその後の影響
1964年10月24日、15日間の熱戦が幕を閉じました。閉会式では、選手たちが国境を越えて一緒に入場します。
- 競技運営やインフラ整備など、日本の大会運営能力は高く評価された
- 敗戦からわずか19年、焼け野原から立ち上がった日本が、世界最大級のスポーツイベントを成功させた
- 聖火はギリシャを出発し、中東や南アジアを経て日本へ届く
- 経済的にも大きな影響があり、オリンピック景気という言葉が生まれ、建設投資や消費が増加する
流れで見る1964年東京オリンピック
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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幻の1940年東京オリンピックと悲願の招致
1940年にも一度、東京での開催が決まっていた
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開会式と平和の象徴・聖火ランナー坂井義則
1964年10月10日の午後、国立競技場で開会式がいよいよ始まる
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東洋の魔女と日本選手の大活躍
特に印象的だったのが、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチーム
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新幹線と首都高速・インフラ整備の加速
東京オリンピックは、スポーツの大会であると同時に、日本のインフラを大きく変えるきっかけとなった
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世界に示した日本の復興とその後の影響
1964年10月24日、15日間の熱戦が幕を閉じた