1937年7月7日、盧溝橋で響いた銃声をきっかけに、日本と中国は8年間の全面戦争へと突き進んでいきました。最初の一発を誰が撃ったのかは、今でもはっきりとは分かっていません。なぜ戦争は始まり、なぜ止められなかったのか。満州事変から盧溝橋事件、第二次上海事変、そして泥沼化していく過程を、歴史的事実に基づいて解説します。
この記事のポイント
- 盧溝橋事件の経緯と、事件が全面戦争へと拡大した理由
- 満州事変から華北分離工作までの日本の中国侵略の過程
- 第二次上海事変が日中戦争の転換点となった経緯
- 南京攻略と暴支膺懲の方針がもたらした結果
- 戦争が泥沼化した原因と、日中両国に残した深い傷
なぜ戦争が始まったのか?盧溝橋事件の真相
1937年7月7日の夜、北京の南西に位置する盧溝橋で、歴史を大きく変える事件が起きました。
- 時刻は午後10時過ぎ
- 発砲音のあと点呼を取ると、兵士がひとり戻っていなかった
- ここで一つの疑問が浮かぶ
- 日本は、義和団事件のあとに結ばれた北京議定書によって、北京周辺に兵を置く権利を得ていた
戦争への道を築いた満州事変と華北分離工作
盧溝橋事件に至る道のりは、1931年の満州事変にさかのぼります。この事変こそが、日中戦争への最初の一歩でした。
- 1931年9月18日の夜
- 参謀の石原莞爾と板垣征四郎が計画し、自ら鉄道を爆破した
- 当時の若槻礼次郎内閣は不拡大方針を示しますが、関東軍は無視して戦線を広げる
- 日本はこの勧告を拒み、1933年3月、国際連盟を脱退した
全面戦争の引き金!第二次上海事変の衝撃
盧溝橋事件から1カ月後、事態はさらに深刻化します。1937年8月、戦火は華北から華中へと飛び火しました。
- 8月9日、上海で海軍の大山勇夫中尉と水兵1人が、中国の保安隊に射殺された
- 欧米列強の租界があり、日本人の居留民も多数生活していた
- 8月13日、ついに戦闘が始まった
- 日本政府はこの日、上海への陸軍派遣を決める
暴支膺懲から南京攻略へ!拡大する戦線
上海を制した日本軍は、さらに首都南京を目指して進軍します。首都を落とせば、中国政府は降伏する。
- 陸軍大臣の杉山元は、天皇に「2カ月で片付く」と報告する
- 1937年12月13日、日本軍は南京を占領
- 中国側は30万人以上と主張する一方、日本側の研究では数万から20万人ほどと推計が分かれている
- 欧米メディアが報じ、日本への批判はいっそう高まった
泥沼化した戦争とその代償!日中戦争がもたらしたもの
日中戦争は、なぜ終わらなかったのでしょうか。その理由を整理してみましょう。
- 国共合作により、国民党と共産党が協力して戦う体制ができていた
- 「援蒋ルート」と呼ばれる輸送路を通じ、アメリカやイギリス、ソ連から武器や物資が届く
- ここで撤退すれば満州さえ失いかねないと、軍部は考えた
- 日本側の軍人の死傷者は、100万から130万人前後とされる
流れで見る盧溝橋事件から日中戦争へ
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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なぜ戦争が始まったのか?盧溝橋事件の真相
1937年7月7日の夜、北京の南西に位置する盧溝橋で、歴史を大きく変える事件が起きた
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戦争への道を築いた満州事変と華北分離工作
盧溝橋事件に至る道のりは、1931年の満州事変にさかのぼる
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全面戦争の引き金!第二次上海事変の衝撃
1937年8月、戦火は華北から華中へと飛び火した
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暴支膺懲から南京攻略へ!拡大する戦線
上海を制した日本軍は、さらに首都南京を目指して進軍する
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泥沼化した戦争とその代償!日中戦争がもたらしたもの
その理由を整理し