1707年に発生した宝永地震は、南海トラフを震源とする史上最大級の連動型地震でした。3つの震源域が連動して一体的に破壊し、西日本全域に甚大な被害をもたらしました。さらに49日後には富士山が大噴火を起こし、人々は三重の災害に見舞われます。この動画では、江戸時代の記録をもとに、宝永地震の全貌と現代への教訓を解説します。
この記事のポイント
- 宝永地震が3つの震源域が連動した超巨大地震であったこと
- 西日本全域を襲った激しい揺れと建物倒壊の実態
- 太平洋沿岸を襲った大津波の被害状況
- 地震から49日後に発生した富士山の宝永噴火との関連
- 復興の過程と南海トラフ地震への現代的教訓
宝永地震とは?3つの震源域が連動した超巨大地震
宝永地震が発生したのは、1707年10月28日、午後2時ごろのことでした。この地震は、日本列島に沿って延びる南海トラフで発生した、まさに超巨大地震だったのです。
- 南海トラフは、静岡県の駿河湾から九州沖にかけて延びる、海底の深い溝のこと
- 現代の研究によると、地震の規模を示すマグニチュードは8.6と推定されている
- 複数の震源域が同時に、あるいは短時間のうちに続けて動く地震
- その手がかりは、過去に南海トラフで起きた大地震の時期にある
地震発生の瞬間!西日本を襲った激しい揺れ
1707年10月28日、午後2時ごろ。西日本一帯を、突如として激しい揺れが襲いました。
- 現在の静岡県、愛知県、三重県、和歌山県、徳島県、高知県など
- 人々は立ち上がることもできず、ただ地面にしがみついて、揺れの収まるのを待つしかなかった
- 大坂でも、被害は深刻でした城内では塀や小屋が次々と倒れ、城下の町では家屋の倒壊が相次ぐ
- 木造建築が多かった当時の建物は、激しい揺れに耐えられなかった
大津波が沿岸部を襲う!壊滅的な被害の実態
地震の揺れが収まって、人々がほっとしたのも束の間でした。地震発生から数十分後、太平洋沿岸に巨大な津波が押し寄せてきたのです。
- 特に高知県の土佐久礼では、津波の高さが25.7メートルを超えたと推定されている
- 場所によって差はありますが、早いところでは数十分で第一波が到来
- 最も大きな被害を受けたのは、現在の高知県や和歌山県の沿岸部であった
- 紀伊半島、いまの和歌山県でも、津波の被害は深刻なものであった
49日後に富士山が噴火!宝永噴火との関連
宝永地震から49日後の、1707年12月16日。日本を代表する霊峰・富士山が、ついに大噴火を起こしました。
- 噴火は1707年12月16日の朝に始まり、およそ16日間続いた
- 噴火の規模は、非常に大きなものであった
- 富士山に近い御殿場や小山では、火山灰が数十センチも積もる
- 噴火の期間中、富士山では何度も爆発的な噴火が起こり、そのたびに大量の火山灰が空へと吹き上げられた
復興への道のりと現代への教訓
宝永地震と宝永噴火からの復興は、長く困難な道のりでした。地震と津波、そして噴火という三重の災害に見舞われた人々は、どのようにして立ち直っていったのでしょうか。
- 各藩に被害の報告を命じ、必要な支援策を検討する
- 被災した地域では、数年にわたり年貢が免除、あるいは軽減され、農民たちは少しずつ生活を立て直すことができた
- 再び津波が来ても被害を受けないようにと、人々はより安全な場所に新たな集落を築いた
- 富士山の周辺では、火山灰に埋もれた田畑の復旧が進められた
流れで見る宝永地震
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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宝永地震とは?3つの震源域が連動した超巨大地震
宝永地震が発生したのは、1707年10月28日、午後2時ごろのことであった
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地震発生の瞬間!西日本を襲った激しい揺れ
1707年10月28日、午後2時ごろ
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大津波が沿岸部を襲う!壊滅的な被害の実態
地震発生から数十分後、太平洋沿岸に巨大な津波が押し寄せてきた
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49日後に富士山が噴火!宝永噴火との関連
宝永地震から49日後の、1707年12月16日
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復興への道のりと現代への教訓
宝永地震と宝永噴火からの復興は、長く困難な道のりであった