江戸幕府の株仲間を、徳川吉宗の財政再建と物価安定策、田沼意次の拡大、松平定信と水野忠邦の見直しという流れで追跡。独占と自由競争のバランスという現代的課題も見通せます。
この記事のポイント
- 株仲間の仕組みと江戸時代の商業システムの実態
- 徳川吉宗が享保の改革で株仲間を公認した理由
- 田沼意次の時代に株仲間が最盛期を迎えた背景
- 株仲間のメリットとデメリット、誰が得をしたのか
- 天保の改革での解散令と明治維新による完全廃止の経緯
株仲間って何?江戸時代の独占ビジネスシステム
まず、株仲間とは何か、基本から見ていきましょう。これは江戸時代に、同じ商売をする人々が集まって作った組織です。
- 幕府や藩から公式に認められ、その商売を独占する権利を与えられていたことだ
- 株とは、仲間に入る権利を指する
- 株仲間のような同業者組織は、江戸時代より前から存在する
- 江戸時代に入り、幕府が全国を統一すると、経済も幕府の管理下に置かれるようになる
享保の改革で始まった株仲間公認政策
株仲間が本格的に広まるきっかけを作ったのは、8代将軍徳川吉宗です。吉宗が行った享保の改革の中で、株仲間の公認政策は大きく進められました。
- 吉宗が将軍になったのは1716年
- 吉宗は倹約を進める一方で、新しい収入源を探す必要があった
- 商人たちを組織化し、その組織に独占権を与える代わりに、税金を納めさせるという仕組み
- 吉宗は財政を立て直すため、1721年ごろから、商人や職人を公認の仲間として組織化するよう促す
田沼意次の時代!株仲間が最も栄えた黄金期
株仲間が最も繁栄したのは、田沼意次が権力を握った時代です。田沼意次は、10代将軍徳川家治の側用人として、1760年代から1780年代にかけて幕府の政治を主導しました。
- 吉宗の時代には主に大問屋中心だった株仲間だが、田沼の時代には、ほぼすべての業種に作られていいた
- 芸者などの職能組織も形成されましたが、これは商業株仲間とは異なる性格を持っていた
- その最大の理由は、やはり財政
- 田沼は、商人の力を利用して幕府の財政を立て直そうと考えた
株仲間のメリットとデメリット!誰が得をしたのか
ここで一度、株仲間という制度のメリットとデメリットを整理してみましょう。この制度によって得をした人もいれば、損をした人もいました。
- 幕府にとって、株仲間は非常に便利な仕組みであった
- 株仲間を通じて商人を組織化することで、物価の調整や品質の管理が可能になる
- 株仲間の認可権を通じて、商人に対して政治的な影響力を行使できるようになった
株仲間の終焉!時代が求めた自由な経済へ
田沼失脚後、幕府の政策は大きく変わります。1787年、松平定信が老中となり、寛政の改革が始まりました。
- 商人との癒着、賄賂の横行、そして株仲間による独占を問題視した
- 新しい株仲間の設立は原則として認められず、既存の仲間も価格の吊り上げや品質の低下がないか、厳しく監視された
- とはいえ、定信は株仲間を完全に廃止したわけではない
- 時代はさらに進み、1841年、12代将軍徳川家慶のもとで天保の改革が始まる
流れで見る株仲間の公認
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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株仲間って何?江戸時代の独占ビジネスシステム
これは江戸時代に、同じ商売をする人々が集まって作った組織
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享保の改革で始まった株仲間公認政策
株仲間が本格的に広まるきっかけを作ったのは、8代将軍徳川吉宗である
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田沼意次の時代!株仲間が最も栄えた黄金期
田沼意次は、10代将軍徳川家治の側用人として、1760年代から1780年代にかけて幕府の政治を主導した
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株仲間のメリットとデメリット!誰が得をしたのか
この制度によって得をした人もいれば、損をした人もいた
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株仲間の終焉!時代が求めた自由な経済へ
1787年、松平定信が老中となり、寛政の改革が始まった