富士山が最後に大噴火したのが1707年の宝永大噴火です。近い数千年の歴史の中でも、火山灰を中心とした噴火としては最大級の規模とされています。この動画では、宝永地震の49日後に始まった噴火の経緯、江戸まで灰が降った16日間の記録、壊滅的な被害を受けた村々の実態、そして数十年に及んだ復興への道のりを、わかりやすく解説します。
この記事のポイント
- 宝永東海・南海地震と富士山噴火の関係
- 16日間続いた噴火の詳細な経過と江戸での降灰状況
- 焼け砂に埋もれた村々の深刻な被害実態
- 伊奈半左衛門の尽力と住民の粘り強い復興への努力
- 現代に富士山が噴火した場合の想定被害と教訓
巨大地震の49日後に始まった悪夢!富士山宝永大噴火とは
宝永大噴火を理解するには、まずその直前に起きた出来事から振り返ってみましょう。
- 現在の静岡県、愛知県、三重県、和歌山県、高知県など広い範囲が激しい揺れに見舞われ、太平洋岸には大津波が押し寄せる
- 御殿場や小山では家屋が倒れ、大地には地割れが走り、山崩れが寺を飲み込むほど激しいものであった
- 周辺の記録によると、山中では一日に10回から20回も体に感じる地震があったという
- 12月に入ると、富士山の東側で山鳴りが頻繁に聞こえるようになった
噴火開始!江戸が真っ白になった16日間の記録
1707年12月16日、昼前から始まった噴火は、すさまじい勢いで続きました。その様子を、時間の経過とともに追っていきましょう。
- 噴火が始まると、火口の近くには大量の軽石が落下した
- 江戸の儒学者、新井白石の自叙伝『折たく柴の記』には、この時の様子が詳しく記されている
- 午後3時ごろ、噴火は一時的に落ち着いた
- 火口近くには、スコリアと呼ばれる黒い火山砕屑物が降り注いだ
焼け砂に埋もれた村々!深刻な被害の実態
噴火が収まり、人々が目にしたのは荒れ果てた大地でした。特に被害が大きかったのは、富士山の東側の地域です。
- 火口に一番近かったこの村は、壊滅状態となる
- 家の一階部分がすっぽりと埋まってしまう量
- 御殿場や小山の村々でも、火山灰は厚く積もった
- 農業で生きる江戸時代の人々にとって、これは死活問題であった
復興への長い道のり!立ち向かった人々の努力
噴火が終わっても、苦難は続きました。むしろ、ここからが本当の闘いだったと言えるでしょう。
- 噴火の半年後、1708年6月の激しい豪雨が追い打ちをかける
- 足柄平野を濁流が襲い、上流からの焼け砂が厚く積もる
- こうした中、復興の責任者として任についたのが、幕府の代官、伊奈忠順であった
- 被災した農民に対し、自力での「砂除け」、すなわち火山灰の除去を命じる
現代に突きつける警告!もし富士山が再び噴火したら
宝永大噴火から300年以上が経ちました。富士山は沈黙を守っていますが、活火山であることに変わりはありません。
- 2004年、内閣府は宝永大噴火クラスの災害を想定した被害予測を発表した
- 交通網が麻痺してしまうだろう
- 送電線に灰が付着すれば、漏電や停電が起きる
- 噴火後には、大規模な土石流や洪水が頻発すると見られている
流れで見る富士山宝永大噴火
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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巨大地震の49日後に始まった悪夢!富士山宝永大噴火とは
宝永大噴火を理解するには、まずその直前に起きた出来事から振り返る
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噴火開始!江戸が真っ白になった16日間の記録
1707年12月16日、昼前から始まった噴火は、すさまじい勢いで続いた
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焼け砂に埋もれた村々!深刻な被害の実態
特に被害が大きかったのは、富士山の東側の地域
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復興への長い道のり!立ち向かった人々の努力
噴火が終わっても、苦難は続いた
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現代に突きつける警告!もし富士山が再び噴火したら
宝永大噴火から300年以上が経った