第一次世界大戦から普選へ――日本はなぜ好景気に沸き、なぜ民衆が声を上げたのか。米騒動や労働・農民・女性運動、天皇機関説論争、大正モダンの文化までをコンパクトに解説します。
この記事のポイント
- 第一次世界大戦への日本の参戦と大戦景気の実態
- 米騒動から始まった政党政治への転換
- 吉野作造の民本主義と社会運動の広がり
- 普通選挙法の成立と政党政治の発展
- 大正モダン文化と新しいライフスタイルの誕生
ヨーロッパで始まった世界大戦と日本の参戦
第一次世界大戦のきっかけは、1914年6月28日に響いた一発の銃声でした。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子、フランツ・フェルディナント大公がサラエボでセルビア人青年に暗殺されたのです。
- ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリアによる三国同盟と、イギリス、フランス
- 日本は1914年8月23日、ドイツに宣戦布告した
- その理由は、1902年に結ばれた日英同盟にあった
- 当時ドイツは、中国の山東省に権益を持ち、青島の港を支配していた
大戦景気がもたらした日本社会の大変革
第一次世界大戦は、日本経済に空前の好景気をもたらしました。なぜヨーロッパの戦争が、日本に好景気をもたらしたのでしょうか。
- ヨーロッパの国々が戦争に全力を注いでいる間、アジアやアフリカ、南米などへの輸出が止まってしまった
- 1914年から1918年の間に、日本の輸出額は約4倍に増加した
- 戦争で船が不足し、運賃が急騰したため、船を持つ会社は莫大な利益を上げる
- ある船成金が料亭で、なんと百円札に火をつけて明かり代わりにしたという
民衆が声を上げた!大正デモクラシーの開花
大正時代は、日本の歴史の中でも特に自由で開放的な時代として知られています。「大正デモクラシー」と呼ばれるこの時代、人々の間に政治への関心が広がり、自らの権利を求める声が高まっていきます。
- 東京帝国大学の教授だった吉野は、1916年に「民本主義」という考え方を提唱した
- 東京帝国大学の憲法学者だった美濃部は、「天皇機関説」を唱えた
- 大正デモクラシーの時代には、社会のさまざまな分野で新しい運動が広がっていいた
- 1912年、鈴木文治によって「友愛会」が結成され、労働者の地位向上を目指す運動が始まる
政党政治の発展と普通選挙法の成立
大正時代は、日本の政党政治が最も発展した時代でもありました。明治時代に政治を動かしていたのは、薩摩や長州出身の藩閥の政治家たちでした。
- 転機となったのは、1918年の米騒動であった
- 教育の充実、交通の整備、産業の振興、国防の充実という四つの政策
- 原敬は1921年11月4日、東京駅で一人の男に刺され、命を落とした
- 1924年には、加藤高明を首相とする護憲三派内閣が成立する
モダン文化の爆発!大正時代の暮らしと文化
大正時代は、日本の文化が大きく花開いた時代でもありました。「大正ロマン」や「大正モダン」という言葉で表される、自由で開放的な文化が生まれたのです。
- 都市では、新しいライフスタイルが次々と生まれた
- 1911年に開店した「カフェー プランタン」を皮切りに、東京や大阪に次々とカフェーが開店する
- カレーライス、コロッケ、とんかつなどの洋食が一般家庭にも普及し始める
- 男性は背広にネクタイ、中折れ帽子という洋装が一般的になる
流れで見る第一次世界大戦と大正デモクラシー
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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ヨーロッパで始まった世界大戦と日本の参戦
第一次世界大戦のきっかけは、1914年6月28日に響いた一発の銃声であった
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大戦景気がもたらした日本社会の大変革
第一次世界大戦は、日本経済に空前の好景気をもたらした
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民衆が声を上げた!大正デモクラシーの開花
「大正デモクラシー」と呼ばれるこの時代、人々の間に政治への関心が広がり、自らの権利を求める声が高まっていく
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政党政治の発展と普通選挙法の成立
明治時代に政治を動かしていたのは、薩摩や長州出身の藩閥の政治家たちであった
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モダン文化の爆発!大正時代の暮らしと文化
「大正ロマン」や「大正モダン」という言葉で表される、自由で開放的な文化が生まれた