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動画の概要

明治維新直後、岩倉具視ら政府首脳陣が1年10ヶ月もの間、日本を留守にした岩倉使節団。条約改正の失敗から欧米列強の衝撃、ビスマルクの演説まで、日本の近代化を決定づけた旅の全貌を解説します。 この動画でわかること ・明治政府のトップが長期間日本を離れた異例の背景とリスク ・不平等条約の改正と欧米視察という二つの大きな目的 ・アメリカでの交渉失敗と外交知識の欠如による挫折 ・「鉄の宰相」ビスマルクの演説が日本に与えた現実的な教訓 ・津田梅子ら留学生の派遣と帰国後の日本の急速な近代化 このチャンネルでは、教科書だけでは理解しにくい歴史を、ざっくり・わかりやすく解説するシリーズをお届けしています。 VOICEVOX Nemo ※本動画は、YouTubeチャンネル「歴史ラボ」の公式アーカイブ動画です。 YouTube上で公開を終了した過去の動画を保存・公開しています。

動画のポイントを記事で整理

明治維新直後、岩倉具視ら政府首脳陣が1年10ヶ月もの間、日本を留守にした岩倉使節団。条約改正の失敗から欧米列強の衝撃、ビスマルクの演説まで、日本の近代化を決定づけた旅の全貌を解説します。

この記事のポイント

  • 明治政府のトップが長期間日本を離れた異例の背景とリスク
  • 不平等条約の改正と欧米視察という二つの大きな目的
  • アメリカでの交渉失敗と外交知識の欠如による挫折
  • 「鉄の宰相」ビスマルクの演説が日本に与えた現実的な教訓
  • 津田梅子ら留学生の派遣と帰国後の日本の急速な近代化

前代未聞のプロジェクト!政府の中枢が日本からいなくなる

1871年12月23日、横浜港は異様な熱気に包まれていました。アメリカ号に乗り込もうとしていたのは、100人を超える大集団です。

  • 団長は、特命全権大使の岩倉具視
  • 見送りには多くの群衆が集まり、祝砲も鳴り響き、国を挙げた一大イベントとなる
  • そんな出発の場面で、一つ印象的なエピソードがある
  • 異国の空気に触れ、まずは見た目から変わろうとしたのかもしれない

なぜ彼らは旅立ったのか?背負わされた二つの重大な使命

ではなぜ、そこまでして海外へ行く必要があったのでしょうか。実はそこに、二つの大きな目的がありました。

  • 一つ目は、不平等条約の改正に向けた予備交渉である
  • 日本国内で外国人が罪を犯しても日本の法律で裁けず、その国の領事が裁判を行う仕組みであった
  • 輸入品に対し、日本が自由に関税をかける権利を持っていなかった
  • 新政府にとって、不平等条約の改正は大きな目標であった

アメリカでの大失敗!外交の基本を知らなかった日本人たち

横浜を出ておよそ3週間。1872年1月、一行はサンフランシスコへ上陸し、盛大なパレードで迎えられます。

  • 旅路では、前年に大火に見舞われたシカゴの街並みも目にする
  • この歓迎ムードを見て、一行の中に「予備交渉ではなく、一気に本格交渉へ踏み込もう」という声が上がる
  • こうしてワシントンで本格的な交渉が始まる
  • 全権委任状とは、条約を正式に結ぶ権限を証明する書類である

ヨーロッパでの衝撃!鉄の宰相ビスマルクが教えた世界の現実

1872年の夏、使節団はイギリスに到着しました。当時のイギリスは、産業革命を成し遂げ、世界の中心に立っていた国です。

  • 街中を走る鉄道に地下鉄、立ち並ぶ巨大な工場、そして港を埋め尽くす蒸気船
  • 単に法律や制度を整えるだけではいけない
  • その後、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシアと、彼らはヨーロッパ各国を巡った
  • 1873年3月中旬、ベルリンでの宴席で、彼は国際政治の厳しさを説いた

海を渡った小さな少女たち!津田梅子と女子留学生の挑戦

岩倉使節団の物語で忘れてはならないのが、彼らと一緒に海を渡った留学生たちです。

  • その一人、津田梅子は当時わずか6歳であった
  • 彼女たちの使命は、アメリカの家庭に入り、西洋の女性の生き方や教育を学ぶことであった
  • それでも梅子はアメリカの家庭で愛情を受けて育ち、英語を身につけ、自立した女性としての考え方を学んだ
  • 梅子は日本の古い習慣と、アメリカで学んだ価値観のギャップに苦しむ

帰国と激動!見たことのない新しい日本を作るために

1873年、使節団はヨーロッパからアジアを経由し、9月13日に横浜へ戻ってきます。

  • 頭の中には、ロンドンの地下鉄やベルリンの重厚な街並み、そしてビスマルクの言葉が焼き付いていたからである
  • しかし帰国した彼らを待っていたのは、のんびりとした土産話の時間ではない
  • 彼らがいない間に、留守を預かっていた西郷隆盛や板垣退助らの間では、朝鮮に対して武力で開国を迫る「征韓論」が高まっていた
  • 今の日本には外国と戦争をしている余裕などない

流れで見る岩倉使節団

動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。

  1. 前代未聞のプロジェクト!政府の中枢が日本からいなくなる

    1871年12月23日、横浜港は異様な熱気に包まれていた

  2. なぜ彼らは旅立ったのか?背負わされた二つの重大な使命

    実はそこに、二つの大きな目的があった

  3. アメリカでの大失敗!外交の基本を知らなかった日本人たち

    1872年1月、一行はサンフランシスコへ上陸し、盛大なパレードで迎えられる

  4. ヨーロッパでの衝撃!鉄の宰相ビスマルクが教えた世界の現実

    1872年の夏、使節団はイギリスに到着した

  5. 海を渡った小さな少女たち!津田梅子と女子留学生の挑戦

    岩倉使節団の物語で忘れてはならないのが、彼らと一緒に海を渡った留学生たち

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