初代総理大臣・伊藤博文らが若き日に関わった「英国公使館焼き討ち事件」。なぜ彼らは完成間近の美しい洋館を燃やし、そのわずか5か月後にイギリスへ留学したのでしょうか?本動画では、高杉晋作率いる実行部隊の動きや、攘夷から開国へと転換していく長州ファイブのドラマティックな真実をわかりやすく解説します。
この記事のポイント
- 英国公使館焼き討ち事件の全貌
- 高杉晋作と久坂玄瑞の過激な計画
- 伊藤博文・井上馨の若き日の行動
- 攘夷から開国への転換点
- 長州五傑(長州ファイブ)留学のきっかけ
炎上する御殿山
まずは、事件が起きた現場と、その夜の様子から見ていきましょう。舞台となったのは、江戸の品川にある御殿山です。
- 当時は海を見下ろす小高い丘で、風光明媚な場所として庶民に親しまれていた
- 自分たちの憩いの場が、異人たちに奪われると感じたからである
- 周囲には空堀を掘り、その内側に柵をめぐらせるなど、襲撃に備えた堅牢なつくりとなっていた
- 完成を間近に控えた洋館は、ある夜、突然炎に包まれる
高杉晋作の決意と「薩摩への対抗」
では、なぜ彼らはこのタイミングで事件を起こしたのでしょうか。その背景には、長州藩が置かれていた焦りと危機感がありました。
- 横浜の生麦村で、薩摩藩の行列とイギリス人が行き違い、衝突が起きた
- これにより、薩摩藩は「攘夷の実行者」として、尊王攘夷派の間で評価を高めることになった
- 長州藩こそが尊王攘夷の先頭に立つべきだと考えていた彼らにとって、薩摩に遅れをとることは、到底受け入れられるものではなかった
- 文久2年、西暦1862年に上海へ渡航した高杉は、列強の影響下にある現地を見て危機感を強めた
周到かつマヌケな実行部隊
運命の12月12日深夜、彼らはついに行動を開始します。黒装束に身を包み、手には刀と火薬、そして松明を携えていました。
- 現場では、高杉や久坂が作戦全体の統率を担っていた
- 柵を突破するための工夫や、証拠隠滅のための咄嗟の行動など、彼らが命がけでこの計画を実行した様子が語り継がれている
- 標的は明確で、狙いはイギリス公使館を破壊すること、その一点にあった
- 盗みを働けば、自分たちはただの野盗に成り下がってしまうという、志士としてのプライドがあった
燃え落ちる洋館と「大攘夷」への転換
火は建物全体に回り、美しい西洋建築は轟音とともに崩れ落ちていきました。炎は夜空を焦がすほど勢いよく燃え広がっていきます。
- 一説には、高杉と久坂は芝浦の料亭から、燃え上がる御殿山を眺めていたと伝わっている
- 完成間近だった公使館は全焼し、幕府の面目は丸つぶれとなった
- これにより、長州藩内での高杉たちの発言力は一気に高まった
- 燃え落ちる洋館を前に、彼らの心には、さまざまな思いが交錯していたのかもしれない
そして彼らはイギリスへ
その約5か月後、彼らはイギリスへ密航留学へと旅立ちました。山尾庸三らを含めた彼ら5人の若者は、のちに「長州ファイブ」と呼ばれ、日本の近代化を背負うことになります。
- 伊藤たちは、公使館を燃やすことで一時的に鬱憤を晴らしたかもしれない
- イギリスに渡った彼らは、ロンドンの圧倒的な文明力に度肝を抜かれることになった
- もし、あの夜に公使館を燃やしていなければ、彼らの留学もなかったかもしれない
流れで見る英国公使館焼き討ち事件!伊藤博文らが燃やした理由とは
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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炎上する御殿山
事件が起きた現場と、その夜の様子から確認する
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高杉晋作の決意と「薩摩への対抗」
その背景には、長州藩が置かれていた焦りと危機感があった
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周到かつマヌケな実行部隊
運命の12月12日深夜、彼らはついに行動を開始する
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燃え落ちる洋館と「大攘夷」への転換
火は建物全体に回り、美しい西洋建築は轟音とともに崩れ落ちていいた
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そして彼らはイギリスへ
山尾庸三らを含めた彼ら5人の若者は、のちに「長州ファイブ」と呼ばれ、日本の近代化を背負うことになった