観応の擾乱は、室町幕府を開いた足利尊氏とその弟の直義が武力衝突した日本史上まれに見る兄弟の内乱です。高師直の野心、二度の和睦と裏切り、直義の最期まで、南北朝時代の複雑な権力闘争をわかりやすく解説します。
この記事のポイント
- 観応の擾乱とは何か、なぜ兄弟が戦うことになったのか
- 足利尊氏と足利直義の性格の違いと政治方針の対立
- 高師直という執事が果たした役割と彼の野心
- 西暦1350年から1352年にかけての戦況の推移と南朝の動き
- 直義の最期と擾乱が室町幕府に与えた影響
観応の擾乱って何?兄弟が日本を二分した大乱の始まり
「観応の擾乱」。この言葉を聞いたことがある方も、詳しい内容まではご存じないかもしれません。
- 観応の擾乱は、1350年から1352年にかけて続いた、室町幕府内部の大規模な内乱
- 室町幕府を開いた足利尊氏と、その弟の足利直義が、真っ向から戦った点にある
- 1336年から1392年まで続いた、日本に二つの朝廷が存在した時代
- 足利尊氏は、鎌倉幕府を倒し、建武の新政を経て、1338年に室町幕府を開いた人物
足利尊氏と足利直義、二人の兄弟はなぜ対立したのか
足利尊氏と足利直義。この二人の兄弟は、もともとどんな人物だったのでしょうか。
- 兄の尊氏は1305年の生まれである
- 弟の直義は1306年生まれで、尊氏の1歳年下であった
- 二人は幼い頃から共に育ち、のちに鎌倉幕府の御家人となる
- 公家中心の政治に失望した尊氏と直義は、1336年、天皇に反旗を翻した
高師直という男!権力を握った執事の野心
高師直。その名を聞いて、どんな人物を思い浮かべますか?
- 将軍のすぐそばで政治と軍を支える側近の頂点であった
- やがて1330年代、尊氏が鎌倉幕府を離れ、後醍醐天皇のもとへ走ると、師直もその決断に従いる
- 数々の戦で武勇を示し、尊氏から厚い信頼を得ていく
- 自分や一族の利益のために、権力を使うことをためらわない
ついに開戦!観応の擾乱はこうして始まった
1350年、ついに足利兄弟の対立は、武力衝突へと発展します。
- 幕府は外敵への対応と、内部の争いへの対応、その両立を迫られる
- 結局、尊氏の判断で軍は動き出する
- 1350年10月26日、直義は京都を脱出し、大和へと姿を消する
- 直義は、各地の武士たちに檄を飛ばした
二度の和睦と裏切り!複雑化する戦況
1351年の秋、再び尊氏と直義の対立が激化します。今度は、師直という仲介者はいません。
- 1351年11月、自ら軍を率いて、直義討伐へと動く
- 尊氏が優勢になれば、直義がすぐに盛り返す――そんな拮抗が続いた
- 情勢をさらに混乱させる出来事が起こる
- かつて尊氏も直義も、北朝の側に立って南朝と戦っていた
直義の最期と擾乱の終結!その後の室町幕府
1352年1月5日、直義は鎌倉で武装を解き、尊氏に降伏しました。その後、鎌倉の浄妙寺境内・延福寺へと幽閉されます。
- 直義の死とともに、観応の擾乱は幕を下ろする
- 無数の武士が倒れ、全国は戦火に包まれる
- 擾乱の混乱に乗じて、南朝は勢いを強める
- 将軍直轄による幕府の再編が進んだ
流れで見る観応の擾乱
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
-
観応の擾乱って何?兄弟が日本を二分した大乱の始まり
この言葉を聞いたことがある方も、詳しい内容まではご存じないかもしれない
-
足利尊氏と足利直義、二人の兄弟はなぜ対立したのか
足利尊氏と足利直義
-
高師直という男!権力を握った執事の野心
その名を聞いて、どんな人物を思い浮かべますか?
-
ついに開戦!観応の擾乱はこうして始まった
1350年、ついに足利兄弟の対立は、武力衝突へと発展する
-
二度の和睦と裏切り!複雑化する戦況
1351年の秋、再び尊氏と直義の対立が激化する