教科書だけでは分かりにくい「満州事変」の世界へようこそ!この動画では、日本が満州に固執した理由から、柳条湖事件の真相、満州国の実態、国際連盟脱退による日本の孤立、そして日中戦争への繋がりまで、その後の日本の運命を大きく変えた出来事をざっくり解説します。
この記事のポイント
- 日本が満州に持っていた特別な権益と経済的価値
- 柳条湖事件が関東軍の謀略であったとされる真相
- 満州国が「五族協和」を掲げながらも日本の傀儡国家であった実態
- リットン調査団の報告書が日本にもたらした国際的孤立
- 満州事変がその後の日本の軍国主義化と日中戦争へ繋がった経緯
満州とはどんな場所だったのか? 日本が満州にこだわった理由
まずは、満州事変が起こる前の「満州」という場所が、日本にとってどれほど重要だったのか、その背景から見ていきましょう。
- 豊かな自然と、石炭、鉄鉱石などの豊富な地下資源に恵まれていた
- 日本が満州に本格的に目を向け始めたのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのことであった
- 1904年に始まった日露戦争
- 鉄道事業だけでなく、満州の鉱山開発、製鉄所の運営、農業、さらには都市開発や医療、教育まで、あらゆる事業を手がける巨大な複合企業体だったん
計画された衝突? 柳条湖事件の真相
さて、満州が火薬庫のような状況にあった1931年9月18日の夜、その火薬庫に火をつける事件が起こります。
- 時刻は午後10時20分頃
- この爆破事件の直後、日本の関東軍は、「中国軍が南満州鉄道の線路を爆破した!」と主張し、直ちに中国軍の兵営を攻撃し始めた
- この事件、実は関東軍の自作自演だった、というのが現在では定説となっている
- この謀略については、事件後、日本政府も国際社会も、当初は中国側の仕業だと発表しましたが
満州国誕生! 「五族協和」の裏に隠された真実とは?
柳条湖事件をきっかけに、関東軍は瞬く間に満州全土を占領してしまいました。そして、彼らが次に目指したのは、満州に「新しい国」を建てることでした。
- 関東軍は、この満州国を「清朝最後の皇帝である溥儀、ふぎを元首に迎え、日本
- その実態は、日本の関東軍が完全に支配する「傀儡国家、かいらいこっか」であった
- 政府の重要なポストには、日本人が多数就任し、満州人の官僚は形ばかりの存在であった
- 日本人を頂点とした厳格な身分制度が敷かれ、満州人、朝鮮人、蒙古人、漢民族の間には差別が存在していた
世界からの視線! リットン調査団と日本の国際連盟脱退
満州事変が起こり、関東軍が満州全土を占領し、さらには満州国を建国するという日本の行動は、世界中で大きな波紋を呼びました。
- 国際連盟は、紛争を平和的に解決することを目指す国際機関で、日本もその主要なメンバーであった
- 国際連盟は、事態の真相を究明するために、「リットン調査団」を派遣することを決定する
- 1932年10月に提出された「リットン報告書」は、国際社会に大きな衝撃を与える
- この報告書を受けて、国際連盟は1933年2月、総会でリットン報告書を採択した
満州事変が変えた日本の運命と戦争への道
満州事変は、単に満州という地域での出来事にとどまらず、その後の日本の、そして世界の歴史に、極めて大きな影響を与えることになりました。
- 満州事変が日本国内に与えた最も大きな影響は、「軍部の政治的発言力の絶大な強化」
- これは、当時の日本の憲法において、軍の指揮権、統帥権が政府の管轄外とされていた「統帥権独立」の原則が、軍部の独走を許す大きな原因となった
- 例えば、1932年には首相の犬養毅が海軍青年将校によって暗殺される「五・一五事件」が起こり、翌1933年には国際連盟を脱退する
- 満州が日本の支配下に入ったことで、中国では「抗日運動」が激化した
流れで見る満州事変
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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満州とはどんな場所だったのか? 日本が満州にこだわった理由
満州事変が起こる前の「満州」という場所が、日本にとってどれほど重要だったのか、その背景を確認する
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計画された衝突? 柳条湖事件の真相
満州が火薬庫のような状況にあった1931年9月18日の夜、その火薬庫に火をつける事件が起こる
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満州国誕生! 「五族協和」の裏に隠された真実とは?
柳条湖事件をきっかけに、関東軍は瞬く間に満州全土を占領してしまった
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世界からの視線! リットン調査団と日本の国際連盟脱退
満州事変が起こり、関東軍が満州全土を占領し、さらには満州国を建国するという日本の行動は、世界中で大きな波紋を呼んだ
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満州事変が変えた日本の運命と戦争への道
満州事変は、単に満州という地域での出来事にとどまらず、その後の日本の、そして世界の歴史に、極めて大きな影響を与えることになった