教科書だけでは分かりにくい「日中共同声明と国交正常化」の世界へようこそ!この動画では、1972年9月29日に調印された日中共同声明がどのように実現し、日本とアジアにどんな影響を与えたのかをざっくり解説します。田中角栄と周恩来の歴史的会談、ニクソンショックの衝撃、そして現在まで続く日中関係の原点を分かりやすく深掘りします。
この記事のポイント
- なぜ日本と中国は27年間も国交がなかったのか
- ニクソンショックが日本の外交政策をどう変えたか
- 田中角栄と周恩来の歴史的な交渉の舞台裏
- 日中共同声明に込められた両国の複雑な思い
- 国交正常化が日本とアジアにもたらした大きな変化
なぜ日本と中国は国交を結んでいなかったのか
日中国交正常化を理解するには、まずなぜ日本と中国が長い間、正式な外交関係を持っていなかったのかを知る必要があります。
- 第二次世界大戦が終わった1945年8月15日、日本は連合国に降伏した
- 第二次世界大戦が終わると、中国では蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党が激しい内戦を始める
- そして1949年10月1日、毛沢東率いる共産党が勝利し、中華人民共和国が成立した
- ここで日本は難しい選択を迫られる
ニクソンショックが日本を動かした
1971年7月15日、世界中が驚くニュースが流れました。アメリカのニクソン大統領が、翌年に中国を訪問すると発表したのです。
- それまでアメリカは、中華人民共和国を敵視し、国交を持たず、台湾を支持していた
- しかも、この重大な方針転換を、同盟国である日本には何も知らされないまま発表したため、東京に大きな衝撃を与えた
- 大きな理由は、ベトナム戦争の泥沼化にあった
- ベトナムから名誉ある撤退を考えたニクソン大統領
田中角栄と周恩来の歴史的な出会い
1972年9月、現職の日本の総理として初めて田中角栄総理が北京を訪れ、周恩来総理と向き合いました。
- 二人が握手を交わした瞬間、戦後27年間断絶していた日中関係に、新しい歴史が幕を開けようとしていた
- 田中首相の訪中団には、大平正芳外務大臣、二階堂進官房長官など、合わせて50人余りが同行した
- この訪中の前に、日本と中国の間では水面下で様々な交渉が進められていた
- 日本は中華人民共和国を中国の唯一の合法政府として承認すること
日中共同声明に込められた複雑な約束
1972年9月29日、ついに日中共同声明が調印される日がやって来ます。人民大会堂で行われた調印式には、両国の関係者が緊張した面持ちで集まりました。
- 田中角栄首相と周恩来首相が、それぞれ声明文に署名
- この声明は全部で9項目から構成される
- 日本側は過去の戦争で中国国民に重大な損害を与えたことについて、責任を痛感し深く反省すると表明した
- 第1項では、日中間の不正常な状態が終わることが宣言される
国交正常化が変えた日本とアジアの未来
1972年9月29日の日中共同声明調印から、日本と中国、そしてアジア全体は大きく変化しました。
- 国交正常化の翌年から貿易額は急速に拡大し、特に1970年代後半から1980年代にかけて大きく伸ぶ
- 特に1978年12月、中国で改革開放政策が始まると、日本企業の中国進出は加速する
- 1978年に平和友好条約が結ばれ、同年10月には鄧小平副首相が日本を訪れる
- 1979年から始まったODAは、累計でおよそ3.6兆円規模に達するとされる
流れで見る日中共同声明
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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なぜ日本と中国は国交を結んでいなかったのか
日中国交正常化を理解するには、まずなぜ日本と中国が長い間、正式な外交関係を持っていなかったのかを知る必要がある
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ニクソンショックが日本を動かした
1971年7月15日、世界中が驚くニュースが流れた
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田中角栄と周恩来の歴史的な出会い
1972年9月、現職の日本の総理として初めて田中角栄総理が北京を訪れ、周恩来総理と向き合った
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日中共同声明に込められた複雑な約束
1972年9月29日、ついに日中共同声明が調印される日がやって来る
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国交正常化が変えた日本とアジアの未来
1972年9月29日の日中共同声明調印から、日本と中国、そしてアジア全体は大きく変化した