教科書だけでは分かりにくい「八月十八日の政変」の世界へようこそ!この動画では、1863年9月30日に京都で起こった政治的なクーデター「八月十八日の政変」をざっくり解説します。なぜこの政変が起こったのか、薩摩藩と会津藩が主導した背景、緊迫の展開、そして長州藩の失脚と幕末の新たな局面について、歴史に興味を持ち始めた方にも分かりやすく深掘りします。
この記事のポイント
- 幕末の「尊王攘夷」と「公武合体」という二つの思想対立
- 薩摩藩と会津藩が八月十八日の政変を主導した理由と彼らの思惑
- 京都御所を舞台に繰り広げられた政変の具体的な経緯
- 政変によって長州藩が京都から追放された影響
- 八月十八日の政変がその後の薩長同盟や明治維新に与えた長期的な影響
なぜ起こった?政変の背景にある尊王攘夷と公武合体
まずは、八月十八日の政変がなぜ起こったのか、その背景と、当時の日本を二分していた大きな思想の対立について見ていきましょう。
- 1853年にペリーが浦賀に来航して以来、日本は開国を迫られ、不平等な条約を結ばされてしまう
- 彼らは、外国を排除し、天皇を中心とした新しい国づくりを目指すべきだと考え
- それが「公武合体」という考え方だ
- 孝明天皇は、非常に強い攘夷の意思を持っていましたが、長州藩などの急進派の動きがあまりにも過激になることに、次第に懸念を抱くようになる
動き出す薩摩と会津!政変を主導した勢力と彼らの思惑
八月十八日の政変を主導したのは、薩摩藩と会津藩、そして彼らと連携した一部の公家たちでした。
- 薩摩藩は、藩主の父である島津久光が中心となって、公武合体路線を推進していた
- 会津藩は、京都守護職という重要な役職を担っていた
- 彼らは、長州藩と結びついた三条実美などの急進派公家たちが、天皇の意思を無視して過激な行動に出ることに危機感を抱いていた
- 薩摩藩と会津藩は、かつては敵対関係にあった藩だが、この時ばかりは、共通の敵である長州藩と急進派公家を排除するという目的のために
決行!八月十八日の夜、京都御所での緊迫の展開
周到な準備が進められた後、ついに八月十八日の政変が実行に移されます。1863年9月30日の夜、京都御所は、いつもとは違う異様な緊張感に包まれていました。
- 彼らは、御所の警備を担当していた長州藩の兵士たちを、静かに、しかし確実に排除していいた
- この政変の目的は、長州藩と、彼らと結びついていた急進的な尊王攘夷派の公家たちを、京都の政局から排除することであった
- 政変の実行は、中川宮朝彦親王の主導のもと、孝明天皇の意思を背景に進められた
- 御所の門が固められ、長州藩の兵士たちが排除される中、朝議が開かれた
政変の結果と影響:長州藩の失脚と幕末の新たな局面
八月十八日の政変は、幕末の政治情勢に決定的な影響を与えました。この政変によって、京都の政治の中心にいた長州藩と、彼らと結びついていた急進的な尊王攘夷派の公家たちは、一気にその影響力を失い、京都から追放されることになります。
- 長州藩は、それまで京都の政局で大きな発言力を持っていましたが、この政変によって「朝敵」に近い立場に追いやられてしまった
- 政変を主導した薩摩藩と会津藩は、京都の政局で主導権を握ることになった
- 三条実美ら七人の急進派公家が京都を追放されたことで、中川宮朝彦親王や近衛忠煕といった穏健派の公家たちが、朝廷内で主導権を握るようになる
- 幕府の立場から見ると、この政変は一時的に幕府の権威を回復させる効果があった
政変が日本史に与えた長期的な影響と後世の評価
八月十八日の政変は、単なる一過性の事件にとどまらず、その後の日本の歴史に長期的な、そして計り知れない影響を与えました。
- 最も大きな影響の一つは、薩摩藩と長州藩の関係が決定的に悪化したことだ
- 公武合体派が主導した政変ではありましたが、その実行は孝明天皇の意思を背景に行われた
- 急進的な攘夷論が一時的に後退し、より現実的な開国、富国強兵へと向かう動きが強まった
- 後世の評価としては、八月十八日の政変は、幕末の複雑な政治状況を理解する上で不可欠な事件として位置づけられている
流れで見る八月十八日の政変
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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なぜ起こった?政変の背景にある尊王攘夷と公武合体
八月十八日の政変がなぜ起こったのか、その背景と、当時の日本を二分していた大きな思想の対立について確認する
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動き出す薩摩と会津!政変を主導した勢力と彼らの思惑
八月十八日の政変を主導したのは、薩摩藩と会津藩、そして彼らと連携した一部の公家たちであった
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決行!八月十八日の夜、京都御所での緊迫の展開
1863年9月30日の夜、京都御所は、いつもとは違う異様な緊張感に包まれていた
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政変の結果と影響:長州藩の失脚と幕末の新たな局面
この政変によって、京都の政治の中心にいた長州藩と、彼らと結びついていた急進的な尊王攘夷派の公家たちは、一気にその影響力を失い、京都から追放されることになった
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政変が日本史に与えた長期的な影響と後世の評価
八月十八日の政変は、単なる一過性の事件にとどまらず、その後の日本の歴史に長期的な、そして計り知れない影響を与えた