三島事件(市ヶ谷事件)は、憲法9条と自衛隊の矛盾、戦後日本の精神的空虚さへの危機感、「美しい死」へのこだわりなど、複雑な要素が絡み合った出来事です。本動画では史料と研究を踏まえ、その動機と評価の分かれ方を丁寧に紹介します。
この記事のポイント
- 天才作家・三島由紀夫の生涯と代表作品
- 楯の会という民間防衛組織の結成背景
- 1970年11月25日に市ヶ谷駐屯地で起きた事件の全容
- 三島が自決に至った複雑な動機と時代背景
- 三島事件が現代日本に問いかけ続けているテーマ
三島由紀夫とは?天才作家の光と影
まず、三島由紀夫という人物について知っておきましょう。本名は平岡公威。
- 祖父は樺太庁長官を務めた官僚、父は農林省の官僚というエリート家庭の出身であった
- わずか1年足らずで退職し、作家の道を選んだ
- 1949年、24歳で発表した『仮面の告白』は、同性愛を扱った作品であった
- そして1956年に発表された『金閣寺』は、三島の代表作として今も語り継がれている
楯の会結成!作家が民兵組織を作った理由
1968年10月、三島は驚くべき行動に出ます。楯の会という民間の防衛組織を結成したのです。
- 楯の会は、左翼勢力による革命から日本を守るという目的で、学生を中心に作られた組織であった
- 理解を深めるために、当時の時代背景は次の通りである
- 1960年代後半、日本は激しい学生運動の時代であった
- 1968年から1969年にかけて、東京大学の安田講堂が学生に占拠される
運命の日、1970年11月25日に何が起きたのか
1970年11月25日の朝、三島は自宅で執筆活動をしていました。彼が書いていたのは、『豊饒の海』という長編小説、その最終回の原稿でした。
- 午前中、三島は編集者に最後の原稿を手渡する
- 午前11時前、三島は楯の会のメンバー4人とともに、東京の市ヶ谷にある陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れた
- 5人は事前に訪問予約をしており、警備の自衛官は何の疑いもなく通過させた
- 日本刀を抜き、総監を椅子に縛りつけて人質にする
なぜ三島は自決したのか?その真の動機を探る
なぜ三島由紀夫は、自決という極端な行動に出たのでしょうか。研究者たちは、その理由をいくつかの柱に分けて考えています。
- 日本国憲法第9条は、戦争の放棄と戦力の不保持を定めている
- 自衛隊員たちは、国を守るために厳しい訓練に耐えている
- もうひとつ大きかったのが、戦後日本の精神的な空虚さへの危機感である
- 老いて弱る前に、最も充実している瞬間に、美しい形で死ぬことに価値がある
三島事件が現代に問いかけるもの
三島由紀夫の自決から、すでに半世紀以上が経ちました。この事件は現代の私たちに、何を問いかけているのでしょうか。
- 自衛隊は災害救助などで活躍し、国民の信頼も厚くなった
- 次に、経済的豊かさと精神的豊かさのバランスという問題がある
- またこの事件は、言葉と行動のあいだにある距離を見つめ直させる出来事でもある
- 『金閣寺』や『潮騒』といった名作は、時代を超えて人々に感動を与え続けている
流れで見る三島由紀夫自決事件
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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三島由紀夫とは?天才作家の光と影
三島由紀夫という人物について知っておきよう
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楯の会結成!作家が民兵組織を作った理由
1968年10月、三島は驚くべき行動に出る
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運命の日、1970年11月25日に何が起きたのか
1970年11月25日の朝、三島は自宅で執筆活動をしていた
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なぜ三島は自決したのか?その真の動機を探る
研究者たちは、その理由をいくつかの柱に分けて考えている
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三島事件が現代に問いかけるもの
三島由紀夫の自決から、すでに半世紀以上が経った