日本国憲法はどのように生まれたのか。GHQマッカーサー草案の9日間、象徴天皇制・平和主義・基本的人権の三大原則、そして現代まで続く憲法論議を、わかりやすく解説します。
この記事のポイント
- 明治憲法の問題点と新憲法が必要だった理由
- GHQがわずか9日間で憲法草案を作成した経緯
- 国民主権・平和主義・基本的人権という三大原則の意味
- 1946年11月3日の公布式典と国民の反応
- 70年以上改正されていない憲法をめぐる現代の論議
なぜ新しい憲法が必要だった?明治憲法の限界と敗戦
1945年8月15日、日本は第二次世界大戦に敗れました。国土は焼け野原となり、300万人を超える犠牲者が出たとされます。
- それを理解するには、まず、大日本帝国憲法、いわゆる明治憲法がどのようなものだったかを知る必要がある
- 1889年2月11日に発布されたこの憲法は、東アジア初の本格的な近代憲法であり、当時としては画期的なものであった
- 最も重要なのは、主権が天皇にあるという点であった
- 天皇が直接、陸海軍を指揮するという建前のもと、軍は政治から切り離され、強い権限を持つようになっていた
幻に終わった日本案!GHQマッカーサー草案の衝撃
1946年2月1日、衝撃的な事件が起こります。松本委員会が極秘に作成していた憲法改正案が、毎日新聞にスクープされたのです。
- 天皇の統治権は維持されたままで、国民主権とは程遠い内容であった
- 1946年2月3日、マッカーサーは決断する
- マッカーサーは、GHQ民政局を率いるコートニー・ホイットニー准将に、憲法草案の作成を指示した
- 憲法の制定には、本来なら何年もかかるはずだ
憲法の三大原則!象徴天皇制・平和主義・基本的人権とは
公布された日本国憲法は、明治憲法とは全く異なるものでした。その特徴は、三大原則に集約されます。
- 憲法の前文には、こう書かれている
- 簡単に言えば、天皇は国の顔ではあるけれど、政治的な権力は持たないということだ
- 長く続いてきた天皇制は維持されたものの、そのあり方は大きく姿を変えた
- 第9条では、日本は国際社会の正義と秩序を信じ、戦争そのものを放棄すると定めた
公布の日!国民は新憲法をどう受け止めたか
1946年11月3日、日本国憲法が公布されました。明治天皇の誕生日であり、かつて明治節として祝日だったこの日が選ばれたのには、象徴的な意味があったとされます。
- 日本国憲法の公布記念式典は、貴族院議場で行われた
- 学校では生徒たちに新憲法の意義が説明され、新聞は一面でこのニュースを大きく報じた
- 特に平和主義への支持は広く、多くの人々が新しい時代の到来を歓迎した
- 参政権を得て、法的に男性と平等になった
70年以上続く憲法!現代に残る課題と憲法論議
日本国憲法が施行されてから、70年以上が経ちました。現行憲法は施行以来、一度も改正されていません。
- たとえば、アメリカ合衆国憲法は200年以上の歴史の中で、すでに27回も修正されている
- 一つには、改正の手続きが非常に厳しいことが挙げられる
- 改正の手続き自体は、戦後しばらくして整えられた
- 多くの国民が、今の憲法を支持してきたという現実がある
流れで見る日本国憲法公布
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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なぜ新しい憲法が必要だった?明治憲法の限界と敗戦
1945年8月15日、日本は第二次世界大戦に敗れた
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幻に終わった日本案!GHQマッカーサー草案の衝撃
1946年2月1日、衝撃的な事件が起こる
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憲法の三大原則!象徴天皇制・平和主義・基本的人権とは
公布された日本国憲法は、明治憲法とは全く異なるものであった
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公布の日!国民は新憲法をどう受け止めたか
1946年11月3日、日本国憲法が公布された
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70年以上続く憲法!現代に残る課題と憲法論議
日本国憲法が施行されてから、70年以上が経った