幕末最大のミステリー、近江屋事件を徹底解説。坂本龍馬はなぜ暗殺されたのか。犯人は新選組か、見廻組か、それとも黒幕がいたのか。事件の真相と龍馬の生涯、そして日本の歴史に与えた影響まで、わかりやすく紐解きます。
この記事のポイント
- 近江屋事件:1867年12月10日に起きた事件の詳細な経緯
- 大政奉還:1867年11月9日
- 坂本龍馬の功績と薩長同盟、大政奉還への関与
- 新選組説・見廻組説・薩摩黒幕説など複数の犯人像
- 今井信郎の証言と見廻組が有力視される理由
- もし龍馬が生きていたら日本はどう変わっていたか
慶応3年11月15日の夜!龍馬を襲った刺客の正体
1867年12月10日、この日の京都は朝から冷たい雨が降り、底冷えのする一日だったと伝わります。
- 10日ほど前からここを定宿としていましたが、数日前から風邪気味だったという
- 夕刻になると、同じ土佐藩出身の中岡慎太郎が訪ねてく
- そこへ、近所の書店である菊屋の息子・峰吉という少年が、中岡への手紙を届けにやっていた
- そんな折、見知らぬ客がふいに店を訪れた
坂本龍馬とは何者か?幕末を駆け抜けた風雲児
では、暗殺された坂本龍馬とは、いったいどんな人物だったのでしょうか。
- 坂本龍馬は1836年、今の高知県で生まれた
- 薙刀の目録を授かり、のちには「免許皆伝クラスの腕前だった」と語られるほどの使い手であった
- 勝海舟は幕府の役人でしたが、海軍の必要性を説き、西洋の技術を学ぶことを重視していた
- 勝海舟が神戸に海軍操練所を開くと、龍馬はその塾頭として活躍した
なぜ龍馬は狙われたのか?大政奉還と激動の幕末
龍馬が暗殺される直前、日本では歴史的な出来事が起こっていました。それが「大政奉還」です。
- 1867年11月9日、15代将軍・徳川慶喜は、朝廷に政権を返上することを表明した
- 龍馬が後藤象二郎に説いた船中八策が、土佐藩の建白として慶喜に届けられたからである
- むしろ、新たな混乱の始まりであった
- 薩摩藩や長州藩の中には、武力で幕府を倒したいと考える人々がいた
犯人は誰だ?新選組説・見廻組説・薩摩黒幕説を検証
近江屋事件の犯人については、事件から150年以上が経った今でも議論が続いています。
- 新選組は、局長の近藤勇が率いる浪士組織で、会津藩お預かりという立場で京都の治安維持にあたっていた
- 事件の翌日、土佐藩は新選組の仕業だと幕府に訴え出る
- 事件直後、手がかりとして期待されたのは中岡慎太郎の証言であった
- この鞘については、のちに御陵衛士の伊東甲子太郎が「新選組隊士・原田左之助のものだ」と見立てたと伝わる
事件が歴史に与えた影響!もし龍馬が生きていたら
近江屋事件は、日本の歴史にどのような影響を与えたのでしょうか。ここから先は、史実に加えて、歴史好きの間でよく語られる「もし龍馬が生きていたら」という仮定の話も交えながら見ていきます。
- 穏健派のリーダーを失ったことで、武力倒幕を主張する勢力が力を持つようになった
- 大政奉還からほんの2か月後の1868年1月、鳥羽・伏見の戦いが勃発する
- もし龍馬が生きていれば、鳥羽・伏見の戦いは話し合いで避けられたかもしれない
- 生き延びていれば、明治新政府の中で外交や経済の分野で活躍していたかもしれない
流れで見る近江屋事件
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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慶応3年11月15日の夜!龍馬を襲った刺客の正体
1867年12月10日、この日の京都は朝から冷たい雨が降り、底冷えのする一日だったと伝わる
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坂本龍馬とは何者か?幕末を駆け抜けた風雲児
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なぜ龍馬は狙われたのか?大政奉還と激動の幕末
龍馬が暗殺される直前、日本では歴史的な出来事が起こっていた
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犯人は誰だ?新選組説・見廻組説・薩摩黒幕説を検証
近江屋事件の犯人については、事件から150年以上が経った今でも議論が続いている
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事件が歴史に与えた影響!もし龍馬が生きていたら
ここから先は、史実に加えて、歴史好きの間でよく語られる「もし龍馬が生きていたら」という仮定の話も交えながら見ていく