ブラックマンデーの原因を、プラザ合意後のドル安・金利上昇・投資家心理の3点で整理します。ポートフォリオ・インシュアランスが暴落を加速した仕組みと、サーキットブレーカー誕生まで追います。
この記事のポイント
- ブラックマンデーとは何だったのか、1987年10月19日に起きた史上最大の暴落
- 1980年代の株式バブルとプラザ合意がもたらした不安定な経済状況
- 運命の月曜日、ニューヨーク証券取引所で何が起きたのか
- 世界中に連鎖した株価暴落と日本市場への衝撃
- コンピューター取引とプログラム売買が暴落を加速させたメカニズム
- ブラックマンデーが残した教訓とサーキットブレーカー制度の誕生
ブラックマンデーとは?たった1日で22.6%暴落した黒い月曜日
ブラックマンデーとは、1987年10月19日に起きた株価の大暴落を指します。ダウ平均がたった1日で22.6%も下落しました。
- この日、ニューヨーク証券取引所のダウ平均は、1日で508ポイントという記録的な暴落を見せた
- 暴落前の終値は、およそ2246ポイントであった
- 米国市場だけでも、数千億ドルものお金が一気に吹き飛んだといわれている
- この日の株価下落が、世界中の市場関係者に強烈な恐怖を与えたからである
暴落前夜!1980年代の株式バブルとプラザ合意の影
ブラックマンデーを理解するには、当時の経済状況を押さえる必要があります。1980年代前半のアメリカ経済は、はっきりと好調でした。
- レーガン大統領の政策、「レーガノミクス」によって、減税などが進められた
- 1982年から1987年8月までの5年間で、ダウ平均は3倍以上に膨れ上がった
- アメリカは、貿易と財政の両方で、巨額の赤字を抱えていた
- そこで1985年、「プラザ合意」が結ばれる
1987年10月19日!運命の月曜日に何が起きた?
1987年10月19日、月曜日。取引開始と同時に異変が起きました。
- 株価は急落し、売り注文が一気に押し寄せた
- 株価の下落は止まらず、午後に入ると売りはさらに加速した
- 掲示板の株価は、見る間に真っ赤な数字で埋め尽くされていく
- 注文があまりにも多く、コンピューターの処理は限界に達する
世界中がパニック!連鎖する株価暴落と日本への衝撃
暴落は時差で広がり、アジアやヨーロッパにも飛び火しました。まずは、アジア市場です。
- 香港では株価が1割ほど下落し、その後、取引停止に追い込まれた
- 1987年10月20日、東京でも日経平均が3836円も下落した
- 証券会社の窓口には、パニックになった人々が詰めかける
- ロンドンでは10%を超える下落
なぜ止まらなかった?コンピューター取引が招いた悪夢
なぜ、これほど激しい暴落が起きたのでしょうか。最大のポイントは、下落のスピードと規模が、これまでとは明らかに違っていた点にあります。
- 当時、プロの投資家の間では、プログラム取引が広まっていた
- これは、あらかじめ決めた条件で、コンピューターが自動で売買する仕組みである
- 普段は、取引をスムーズに進める役割を果たしている
- あの日、株価が下がり始めると、コンピューターが一斉に売り注文を出した
ブラックマンデーが残した教訓!現代の株式市場を変えた日
この衝撃を受け、世界中で対策が始まりました。まずは、市場を落ち着かせる措置です。
- アメリカの中央銀行は、市場に資金を供給する姿勢を明確にした
- 金融システムが崩れずに済んだことは、大きな意味を持つ
- 日本でも日本銀行が市場を支え、動揺を抑えようとした
- アメリカでは専門チームが立ち上がり、暴落の原因を詳しく調べた
流れで見るブラックマンデー
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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ブラックマンデーとは?たった1日で22.6%暴落した黒い月曜日
ブラックマンデーとは、1987年10月19日に起きた株価の大暴落を指する
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暴落前夜!1980年代の株式バブルとプラザ合意の影
1980年代前半のアメリカ経済は、はっきりと好調であった
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1987年10月19日!運命の月曜日に何が起きた?
1987年10月19日、月曜日
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世界中がパニック!連鎖する株価暴落と日本への衝撃
暴落は時差で広がり、アジアやヨーロッパにも飛び火した
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なぜ止まらなかった?コンピューター取引が招いた悪夢
最大のポイントは、下落のスピードと規模が、これまでとは明らかに違っていた点にある