教科書だけでは分かりにくい「享保の改革」の世界へようこそ!この動画では、財政破綻寸前の江戸幕府を救った米将軍、徳川吉宗が断行した享保の改革をざっくり解説します。なぜ改革が必要だったのか、その意外な中身、そして見えざる犠牲を伴った改革の「光と影」を初心者向けに分かりやすく深掘りします。
この記事のポイント
- 江戸幕府が深刻な財政難に陥った背景と改革の必要性
- 「米将軍」徳川吉宗の知られざる人物像と改革への道のり
- 上米の制や目安箱など、享保の改革の具体的な内容
- 改革の成功と、その裏にあった農民の犠牲や飢饉の実態
- 享保の改革が後の時代に与えた影響と現代の評価
財政破綻寸前!なぜ江戸幕府は改革を迫られたのか?
享保の改革がなぜ必要だったのか、その一番の理由は、江戸幕府の深刻な財政難です。
- 例えば、五代将軍の徳川綱吉の時代は、「生類憐みの令」でも知られるように、文化的な支出や大規模な事業が多かったため、財政はかなり圧迫されていた
- 年貢として米を徴収し、それを売って現金を得ていたわけだ
- 米価が下がると、農民は年貢を納めるのが大変になり、生活が苦しくなる
- 彼は、この危機を打開するために、大胆かつ革新的な改革を断行することを決意する
米将軍 徳川吉宗の登場と、その知られざる素顔
享保の改革を語る上で欠かせないのが、その立役者である八代将軍、徳川吉宗という人物です。
- 町人姿で世の中の悪を成敗する、あの破天荒な将軍こそが、この徳川吉宗をモデルにしている
- 将軍の座は、五代将軍綱吉の子孫である直系の家系が継ぐのが一般的でしたから、まさか自分が将軍になるとは、吉宗自身も全く思っていなかった
- 当時の紀州藩も、幕府と同じように財政が非常に苦しい状況であった
- これは、誰でも自由に投書できる箱で、吉宗は自らその中身をチェックし、庶民の意見や不満に耳を傾けた
緊縮財政だけじゃない!享保の改革の意外な中身
さあ、いよいよ徳川吉宗が行った享保の改革の中身を、具体的に見ていきましょう。
- 吉宗は、質素倹約を徹底する一方で、幕府の収入を増やすための政策を次々と打ち出した
- これは、これまで諸大名が一年交代で江戸と自分の領地を往復する「参勤交代」にかかっていた費用を
- 先ほどお話ししたように、この時代は米価が非常に安かったため、米だけで財政を支えるのは難しい状況であった
- それまでの貨幣は、銀の含有量が多い、いわゆる「良貨」であった
改革は成功した?見えざる犠牲と庶民の叫び
享保の改革は、幕府の財政を立て直すという点では、間違いなく成功でした。財政は黒字に転じ、幕府の権威も回復しました。
- 吉宗は、幕府の財政を立て直すために、年貢率を上げた
- 享保17年、西暦1732年には、「享保の大飢饉」が起こった
- 飢饉の被害が最も深刻だった大阪では、米価が急騰し、困窮した人々が米を買い占めているとされる米問屋を襲撃する事件が起こった
- 結局、吉宗の改革は、幕府の財政を立て直すという目的は達成しましたが、庶民、特に農民たちの生活を苦しめ、多くの犠牲を生んでしまった
江戸の三大改革を比較!享保の改革が日本史に残したもの
享保の改革は、江戸時代に行われた「三大改革」の一つとして数えられています。他の二つは、松平定信が行った「寛政の改革」、そして水野忠邦が行った「天保の改革」です。
- 例えば、松平定信の寛政の改革は、享保の改革の行き過ぎた部分を修正しようと、さらに厳しい緊縮財政と道徳の立て直しを目指した
- なぜなら、幕府の財政を立て直し、幕府の権威を回復させたという明確な成果を残したからである
- 享保の改革は、吉宗が亡くなった後も、その厳格な方針が引き継がれ、農民への負担は重いままだったという批判的な見方もある
- 享保の改革は、徳川吉宗という一人の将軍が、その才能と強い意志を持って、危機に瀕した幕府を救おうとした、一大事業であった
流れで見る享保の改革
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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財政破綻寸前!なぜ江戸幕府は改革を迫られたのか?
享保の改革がなぜ必要だったのか、その一番の理由は、江戸幕府の深刻な財政難
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米将軍 徳川吉宗の登場と、その知られざる素顔
享保の改革を語る上で欠かせないのが、その立役者である八代将軍、徳川吉宗という人物
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緊縮財政だけじゃない!享保の改革の意外な中身
さあ、いよいよ徳川吉宗が行った享保の改革の中身を、具体的に見ていく
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改革は成功した?見えざる犠牲と庶民の叫び
享保の改革は、幕府の財政を立て直すという点では、間違いなく成功であった
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他の二つは、松平定信が行った「寛政の改革」、そして水野忠邦が行った「天保の改革」