1989年1月7日、昭和天皇崩御。日本中が深い悲しみに包まれる中、官邸では新元号「平成」決定に向けた緊迫のドラマが進行していました。昭和最後の日、日本が大きく変わった歴史的瞬間の裏側を解説します。
【この動画でわかること】・昭和天皇崩御の当日、官邸と皇居で何が起きていたのか・「自粛ムード」が日本社会に与えた影響と街の様子・新元号「平成」決定の舞台裏と、小渕官房長官の緊張・幻の候補案「修文」「正化」が選ばれなかった理由・世界が注目した昭和の終わりと新しい時代の幕開け
この記事のポイント
- 1989年1月7日。東京は曇り空で、冷え込みはあるものの、凍えるほどではない朝であった
- 体調が大きく崩れたのは、崩御の1年あまり前のことであった。1987年9月、天皇は腹部に強い違和感を覚え、開腹手術を受けることになる
- 昭和天皇の吐血が報じられた1988年9月以降、日本社会は異様な空気に包まれた
- 崩御から約8時間後の午後2時36分。静まり返った中で会見が行われ、小渕官房長官が会見場に姿を現した
昭和最後の日、その朝
1989年1月7日。東京は曇り空で、冷え込みはあるものの、凍えるほどではない朝でした。
- 未明、昭和天皇の容体が急変し、宮内庁と侍医団が対応に追われる
- 最期の瞬間、皇太子ご夫妻をはじめ、多くの皇族やご親族が枕元に集まった
- 午前6時33分、昭和天皇が崩御された
- 記録が明確に残る歴代天皇の中では、最も長い在位期間とされている
隠された病状と壮絶な闘病
体調が大きく崩れたのは、崩御の1年あまり前のことでした。1987年9月、天皇は腹部に強い違和感を覚え、開腹手術を受けることになります。
- すでに病状は進行しており、腺がんだったことも明らかにされた
- 1988年9月19日、昭和天皇は大量の吐血と下血に見舞われる
- 大量の輸血が必要になる日もあり、医師団はギリギリの状況で支え続けた
- 人々は毎日の発表に耳を傾けながら、静かに成り行きを見守っていた
日本が止まった日
昭和天皇の吐血が報じられた1988年9月以降、日本社会は異様な空気に包まれました。
- テレビでは番組やCMを控えめにする動きが出て、街でも祝い事を見送る人が増えた
- 一部のデパートでは休業が相次ぎ、ネオンを消す動きも広がった
- 1989年1月7日の朝、崩御が正式に発表されると、自粛ムードは一気に強まる
- 「昭和」という文字を手にした瞬間、多くの人が一つの時代の終わりを実感した
新元号「平成」誕生の舞台裏
崩御から約8時間後の午後2時36分。静まり返った中で会見が行われ、小渕官房長官が会見場に姿を現しました。
- この「平成」の文字は、政府の文書を担当する専門職が書いたも
- 新元号の選定は、昭和天皇の崩御を見越して、ずっと前から秘密裏に進められていた
- 漢字は2文字で、誰にでも読み書きしやすいこと
- 最終候補として残ったのは、「平成」「正化」「修文」の3案であった
昭和という時代の終わり
昭和天皇の崩御は、日本国内だけでなく、世界中に大きな影響を与えました。1989年2月24日、新宿御苑で大喪の礼が執り行われます。
- アメリカのレーガン前大統領は、昭和天皇が日米間の和解に貢献したと評価するメッセージを送っている
- 昭和天皇は、激動の20世紀を生き抜いた象徴であった
- そして新元号は、公布の翌日である1月8日から使われることになった
- 平成は、2019年4月30日まで、およそ30年3か月続いた
流れで見る昭和天皇崩御と平成改元の裏側
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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昭和最後の日、その朝
1989年1月7日
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隠された病状と壮絶な闘病
1987年9月、天皇は腹部に強い違和感を覚え、開腹手術を受けることになった
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日本が止まった日
昭和天皇の吐血が報じられた1988年9月以降、日本社会は異様な空気に包まれた
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新元号「平成」誕生の舞台裏
崩御から約8時間後の午後2時36分
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昭和という時代の終わり
1989年2月24日、新宿御苑で大喪の礼が執り行われる