教科書だけでは分かりにくい「稲葉山城の戦い」の世界へようこそ!この動画では、織田信長の天下統一のターニングポイントとなった稲葉山城奪取と、その後の「岐阜」命名をざっくり解説します。なぜ「難攻不落」と言われたのか、信長が用いた巧妙な戦略、そして「岐阜」という地名に込められた深い意味を分かりやすく深掘りします。
この記事のポイント
- 稲葉山城が「難攻不落」と言われた理由
- 斎藤氏の内部崩壊を招いた竹中半兵衛の事件
- 決定的な転機となった西美濃三人衆の内応
- 信長が「岐阜」と名付けた理由と、その深い意味
- 稲葉山城奪取が信長の天下統一の道を決定づけた経緯
なぜ、稲葉山城は「難攻不落」と言われたのか?
まずは、織田信長が目指した稲葉山城が、なぜ「難攻不落」と言われたのか、その理由から見ていきます。
- 稲葉山城は、現在の岐阜県にある、標高329メートルの険しい金華山の上に築かれた山城
- 城の西から北にかけて長良川が流れ、その切り立った崖が天然の要塞として城を守る
- 金華山の急な斜面と限られた登り道
- 守る側は道を絞れ、攻め手は尾根で分断される
信長に敵対した美濃の若き当主、斎藤龍興とは?
稲葉山城を本拠としていたのは、斎藤道三の子である斎藤義龍の息子、斎藤龍興でした。
- よく知られる逸話では、半兵衛は十数人とも数十人ともいわれる少数で城内の要所を押さえたと語られる
寝返りと裏切りが連鎖!稲葉山城陥落の真相
内部の不協和音は、外からの圧力がかかったときに一気に表面化します。信長はそこを突きました。
- 彼らは、稲葉良通、安藤守就、そして通称“卜全”でも知られる氏家直元
- 戦いの帰趨はすばやく定まり、永禄十年八月十五日ごろ、信長はついに稲葉山へ入る
「天下布武」への始まり、「岐阜」命名の深い意味
城を得た信長は、この時期に城下の名を井口から「岐阜」へ改めます。名の由来は岐山や曲阜にちなむ、あるいは沢彦宗恩の進言によるとも伝わります。
- 名の由来は岐山や曲阜にちなむ、あるいは沢彦宗恩の進言によるとも伝わる
- さらに文書の朱印に「天下布武」の四字を用い始め、目指す方向を言葉で示した
- 名を改めた理由には諸説がある
- 沢彦宗恩の進言で、周の文王が岐山から起こった故事にならい『岐阜』を選んだと伝わる
稲葉山城奪取が、天下統一を決定づけた理由
稲葉山城の奪取と「岐阜」への改名は、信長の天下統一の道のりにおいて、非常に重要な意味を持ちます。
- 美濃を平定したことで、信長は、都である京都にいる室町幕府の将軍、足利義昭を保護するという大義名分を得ることがでいた
流れで見る稲葉山城奪取と「岐阜」命名
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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なぜ、稲葉山城は「難攻不落」と言われたのか?
織田信長が目指した稲葉山城が、なぜ「難攻不落」と言われたのか、その理由から見ていく
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信長に敵対した美濃の若き当主、斎藤龍興とは?
稲葉山城を本拠としていたのは、斎藤道三の子である斎藤義龍の息子、斎藤龍興であった
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寝返りと裏切りが連鎖!稲葉山城陥落の真相
内部の不協和音は、外からの圧力がかかったときに一気に表面化する
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「天下布武」への始まり、「岐阜」命名の深い意味
名の由来は岐山や曲阜にちなむ、あるいは沢彦宗恩の進言によるとも伝わる
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稲葉山城奪取が、天下統一を決定づけた理由
稲葉山城の奪取と「岐阜」への改名は、信長の天下統一の道のりにおいて、非常に重要な意味を持つ