金本位制の確立からその終焉までを、新貨条例の挫折、銀本位制の苦悩、日清戦争後の在外正貨、日露戦争と国際借款、そして世界恐慌と金輸出禁止などの出来事を通じて、日本経済の変化と課題として解説します。
この記事のポイント
- 1897年に日本が金本位制を確立できた理由と背景
- 新貨条例が失敗し銀本位制に移行した経緯
- 日清戦争の賠償金が果たした決定的な役割
- 金本位制が日本の貿易と産業発展に与えた影響
- 世界恐慌と金本位制離脱までの歴史的経緯
日本がついに国際金融秩序に参加!金本位制確立の瞬間
1897年10月1日、日本の貨幣制度は新しく生まれ変わりました。貨幣法が施行され、日本は正式に金本位制を採用します。
- 1897年の貨幣法では、純金0.75グラムを1円と定めた
- 19世紀は、まさに「金の時代」だったと言える
- 通貨の価値が安定し、紙幣への信頼が高まった
- 金を通じて各国との交換比率が自動的に決まるため、貿易の決済も円滑に進んだ
なぜ金が必要だった?明治初期の貨幣混乱と銀本位制の苦悩
明治維新の直後、日本の貨幣制度は混乱のなかにありました。江戸時代の金銀貨がいまだに出回り、各藩の藩札や政府の紙幣も混在していたからです。
- 政府は、1871年に新貨条例を定めて混乱を収めようとした
- 当初は金本位制を目指しましたが、結果として銀貨が中心となった
- この差に目をつけた外国商人は、日本で金を買い集めて海外で売却した
- 1878年には銀貨の制限が取り払われ、日本は事実上の銀本位制となる
日清戦争の賠償金が運命を変えた!巨額の金を手にした日本
1894年7月、日本と清国の間で戦争が始まります。朝鮮半島をめぐる対立が、ついに武力衝突へと発展したのです。
- 翌1895年4月17日、下関で清との講和条約が結ばれた
- 当時の日本円では、約3億6000万円に相当する
- 本来は銀で支払われる予定でしたが、日本は金での支払いを要求する
- 賠償金はポンドで受け取り、そのままロンドンに置かれる
1897年10月1日!貨幣法施行で生まれた新しい日本
1897年10月1日、日本は正式に金本位制の国として歩み始めました。日本銀行券は、金と交換できる紙幣として扱われるようになりました。
- 新しく造られた金貨は、20円、10円、5円の3種類である
- 金本位制の確立は、日本に劇的な変化をもたらした
- 急な変動で損をする不安が消え、企業は安心して輸出入の契約を結べるようになった
- それまで海外から買っていた日本が、売る側へと転じた象徴的な出来事であった
金本位制がもたらした経済発展と、その終焉
金本位制のもとで、日本経済は力強い成長を続けました。産業が育ち、国力が充実していく安定した時代が続きます。
- 戦争のために莫大なお金を必要としたヨーロッパ諸国が、金本位制を停止した
- ヨーロッパの生産力が落ちたことで、日本製品への注文が世界中から殺到した
- 復興が進む欧米との競争が再開し、日本製品の需要が落ち込んだ
- 1930年1月、浜口雄幸内閣は金の輸出を再び認める
流れで見る貨幣法と金本位制への移行はなぜ急いだ?国際貿易と為替の現実
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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日本がついに国際金融秩序に参加!金本位制確立の瞬間
1897年10月1日、日本の貨幣制度は新しく生まれ変わった
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なぜ金が必要だった?明治初期の貨幣混乱と銀本位制の苦悩
江戸時代の金銀貨がいまだに出回り、各藩の藩札や政府の紙幣も混在していたからである
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日清戦争の賠償金が運命を変えた!巨額の金を手にした日本
1894年7月、日本と清国の間で戦争が始まる
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1897年10月1日!貨幣法施行で生まれた新しい日本
1897年10月1日、日本は正式に金本位制の国として歩み始めた
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金本位制がもたらした経済発展と、その終焉
金本位制のもとで、日本経済は力強い成長を続けた