教科書だけでは分かりにくい「原敬内閣と普通選挙運動」の世界へようこそ!この動画では、日本初の本格的政党内閣を率いた「平民宰相」原敬と、大正デモクラシー期の普通選挙運動をざっくり解説します。なぜ「時期尚早」と判断したのかという視点で、教育や社会情勢への配慮を丁寧に説明します。
この記事のポイント
- 明治時代の制限選挙制度と大正デモクラシーの背景
- 原敬が日本初の平民総理大臣になった革命的な意味
- 原敬内閣の四大政綱と政友会黄金時代の政策
- 労働者、学生、知識人による普通選挙運動の高まり
- なぜ『時期尚早』と判断したのかという視点で、教育や社会情勢への配慮を丁寧に説明する
- 原敬の暗殺事件とその後の日本
大正デモクラシーの夜明け前 明治時代の選挙制度の矛盾
原敬内閣と普通選挙運動を理解するためには、まず明治時代の選挙制度がどのようなものだったかを知る必要があります。
- 明治維新から約20年後の1889年、日本で初めての憲法である大日本帝国憲法が公布される
- 選挙権を持てるのは、直接国税を15円以上納めている25歳以上の男性だけだったからである
- 当時の日本の人口は約4000万人だが、選挙権を持っていたのはわずか45万人程度
- 明治政府の指導者たちは、一般の国民にはまだ政治を理解する能力がないと考えていた
平民宰相の誕生 原敬はなぜ革命的だったのか
原敬は1856年3月15日、現在の岩手県盛岡市に生を受けました。彼の家は盛岡藩の下級武士でしたが、明治維新で藩が廃止されると、原家は没落します。
- 16歳の時、原敬は上京して司法省法学校に入学する
- 原敬の人生が大きく変わったのは、1882年、26歳の時であった
- 帰国後も外務省の要職を歴任し、1896年に辞して大阪毎日新聞社長に就任した
- 1898年、日本で初めての政党内閣である隈板内閣が成立した
政友会の黄金時代 原敬内閣の政策と改革
原敬が総理大臣に就任した1918年9月、日本は大きな転換期を迎えていました。第一次世界大戦が終わりに近づき、世界中で新しい秩序が生まれようとしていた頃です。
- 原敬内閣の政策は「四大政綱」と呼ばれる4つの柱から成り立っている
- 原敬は、国民の教育水準を上げることが国力増強の基礎だと考えていた
- 原敬は「鉄道を地方にまで延ばすことで、日本全体を発展させる」という信念を抱いていた
- 戦争中、ヨーロッパの工業国が戦争に専念している間に、日本の産業は大きく発展する
選挙権を求める声 普通選挙運動の高まり
原敬内閣が成立して以降、普通選挙を求める声はますます大きくなっていきました。第一次世界大戦が終わり、世界中で民主主義の波が押し寄せます。
- ついに1920年1月には、全国規模の普通選挙期成同盟会が結成された
- 普通選挙運動の中心となったのは、吉野作造という東京帝国大学の教授であった
- 彼は、政治は民意に基づくべきだという考えを広め、成人男子への広い選挙権の付与を強く訴える
- 東京帝国大学の学生たちは、新人会という組織を設立し、普通選挙の実現を訴えた
原敬の決断 なぜ普通選挙に反対したのか
多くの国民が期待していた普通選挙に、なぜ原敬は反対したのでしょうか。この疑問は、当時も現代も多くの人を悩ませます。
- 将来的には普通選挙が実現すべきだと考えていた
- 彼は普通選挙そのものを否定したのではなく、社会の安定や教育の行きわたり方を見て、段階的に広げるべきだと考えていた
- 学べる環境がまだ十分ではないまま一気に選挙権を広げると、かえって社会が乱れると心配していた
- 原敬にはもう一つ、現実的な理由があった
東京駅の悲劇 原敬暗殺とその後の日本
1921年11月4日の原敬暗殺は、日本中に衝撃を与えました。現職の総理大臣が暗殺されるという前代未聞の事件です。
- 普通選挙に反対していた原敬に批判的だった人々も、暴力による解決には反対の姿勢を示する
- 「平民宰相」として親しまれていた原敬の死を、心から悼む人が大勢いた
- 原敬という強力なリーダーを失い、党内は混乱する
- 高橋是清内閣は、原敬の政策を基本的に継承する
流れで見る原敬内閣と普通選挙運動
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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大正デモクラシーの夜明け前 明治時代の選挙制度の矛盾
原敬内閣と普通選挙運動を理解するためには、まず明治時代の選挙制度がどのようなものだったかを知る必要がある
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平民宰相の誕生 原敬はなぜ革命的だったのか
原敬は1856年3月15日、現在の岩手県盛岡市に生を受けた
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政友会の黄金時代 原敬内閣の政策と改革
原敬が総理大臣に就任した1918年9月、日本は大きな転換期を迎えていた
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選挙権を求める声 普通選挙運動の高まり
第一次世界大戦が終わり、世界中で民主主義の波が押し寄せる
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原敬の決断 なぜ普通選挙に反対したのか
この疑問は、当時も現代も多くの人を悩ませる