武士の時代を終わらせた「徴兵令」。それは特権を奪われた士族たちの怒りを買い、やがて西南戦争へと繋がっていきます。最強の軍隊を作るために命を懸けた大村益次郎の野望と、近代国家日本が歩み始めた光と影の歴史を紐解きます。
【この動画でわかること】・「生き血を吸われる」と誤解された「血税」騒動の真相・日本陸軍の父・大村益次郎が目指した「最強軍隊」の構想・金持ちは免除?当初は「ザル法」だった徴兵令の不公平な実態・武士vs農民兵!西南戦争で証明された近代軍隊の強さ・徴兵令が「日本人」という意識をどう作り上げたのか
この記事のポイント
- この騒動の発端は、政府が発表したある文書にあった。1873年1月10日、明治政府は徴兵令を公布する
- その答えを知るには、時計の針を少し戻す必要がある
- 1873年1月10日、ついに徴兵令が公布される。満20歳になると徴兵検査を受け、くじ引きで選ばれた者が現役として軍に入る
- 徴兵令は、農民だけに影響を与えた制度ではなかった。この制度によって、職を失う立場に置かれた人々もいる
日本全土が震えた「血税」の恐怖
この騒動の発端は、政府が発表したある文書にありました。1873年1月10日、明治政府は徴兵令を公布します。
- その言葉とは血税で、フランス語で兵役義務を指す表現を訳したも
- ところが農村では、読み書きが得意でない人も多く、言葉は別の意味として広まっていいた
- 生き血を搾り取られる
- とくに知られるのが、1873年、岡山県美作地域で起きた血税一揆である
最強軍隊を作れ!大村益次郎の野望と死
では、なぜ政府はそこまでして徴兵制度を作ろうとしたのでしょうか。その答えを知るには、時計の針を少し戻す必要があります。
- その名は大村益次郎、後に日本陸軍の父と呼ばれる人物
- 大村は幕末の戦いの中で、ある確信を得る
- 身分に関係なく、すべての国民が兵士になるという思想
- 彼が目指したのは、藩ごとにバラバラだった軍隊を廃止し、天皇直属の統一軍をつくることだ
金持ちは逃げろ!「ザル法」と呼ばれた徴兵の実態
1873年1月10日、ついに徴兵令が公布されます。満20歳になると徴兵検査を受け、くじ引きで選ばれた者が現役として軍に入ります。
- 家を支える立場にある戸主は、徴兵の対象から外される
- 家を継ぐ者がいなくなることは、農家にとって致命的だったからである
- 免役料として270円を納めれば、兵役を免れる道もあった
- 官吏や学生、医術を学ぶ者も免除であった
武士のプライドvs農民兵
徴兵令は、農民だけに影響を与えた制度ではありませんでした。この制度によって、職を失う立場に置かれた人々もいます。
- もはや武士だけが戦う時代ではない
- 特に薩摩藩出身の士族たちは、この改革に強い不満を募らせていた
- 自分たちは命がけで倒幕を成し遂げた
- 1877年、西南戦争が勃発した
流れで見る徴兵令はなぜ嫌われた?抜け道だらけの不公平な実態
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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日本全土が震えた「血税」の恐怖
1873年1月10日、明治政府は徴兵令を公布する
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最強軍隊を作れ!大村益次郎の野望と死
その答えを知るには、時計の針を少し戻す必要がある
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金持ちは逃げろ!「ザル法」と呼ばれた徴兵の実態
1873年1月10日、ついに徴兵令が公布される
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武士のプライドvs農民兵
徴兵令は、農民だけに影響を与えた制度ではなかった