1948年に起きた帝銀事件は、なぜ戦後最大の未解決事件と呼ばれるのか。犯人とされた平沢貞通の不可解な自白や、捜査を阻んだとされるGHQと731部隊の関係など、事件の背後に潜む巨大な闇に迫ります。
この記事のポイント
- 帝銀事件の概要と犯人の手口
- 逮捕された平沢貞通と冤罪疑惑
- 捜査線に浮かんだ旧日本軍731部隊の影
- GHQの介入と捜査への影響
- 事件が現代に残す未解決の謎
その男は「防疫班」として現れた
1948年1月26日、人々がまだ戦争の傷跡を引きずりながらも復興へと歩み始めていた頃のことです。
- 閉店直後の静まり返った銀行に、一人の男が現れる
- 近くで集団赤痢が発生したため、GHQの指示により予防薬を飲むように、と
- アメリカ軍の命令、そして伝染病の予防と言われれば、誰も逆らうことなどできない
- 支店長代理をはじめとする行員や用務員、その家族を含めた16人が、男の言葉に従って整列した
名刺が語る捜査線
事件直後、警察は大規模な捜査本部を設置し、犯人の行方を追いました。現場に残された手がかりの中に、犯人のものと思われる名刺があったわけではありません。
- 実は帝銀事件の前に、同じ手口の未遂が2件起きていた
- 三菱銀行中井支店で、男が「厚生省技官 医学博士 山口二郎」という名刺を使って行員に近づいた事件があった
- 安田銀行荏原支店でも、名刺を出して行員に薬を飲ませようとした男がいた
- 捜査は松井本人ではなく、“名刺がどこから流れたのか”へ焦点を移する
毒物のミステリー
しかし、この逮捕劇には多くの謎が残されていました。最大の問題は、犯行に使われた「毒物」の正体について、議論が決着していないことです。
- 警察は当初、使用された毒物を「青酸カリ」と発表していた
- 青酸カリは即効性が強い毒物として知られますが、症状の出方には幅がある
- 生存者の一人は、飲んだ液体についてウィスキーのような味がしたと証言している
- 有力な説の一つとして挙げられるのが、登戸研究所で開発された暗殺用毒物、青酸ニトリール
消えた「旧軍関係者」とGHQの介入
実は、捜査の初期段階において、警察は旧日本軍の秘密機関に注目していました。特に疑われていたのは、「登戸研究所」と呼ばれた陸軍の第九技術研究所だったのです。
- 登戸研究所は、戦時中にスパイ活動や秘密作戦に関わる技術を担い、毒物を含む特殊な研究を進めていた組織として知られている
- 捜査手記などを読み解いた研究からは、GHQと旧軍人ネットワークのつながりが見えてく
- 一説には、旧軍の特殊研究と関わりの深い人物が、捜査線上に浮かんだとも言われている
永遠の未解決事件
こうして、事件の真相へと続く道は閉ざされました。代わって前面に押し出されたのが、平沢貞通による単独犯行とする見方だったのです。
- 自白調書が大きく扱われ、状況証拠と組み合わされて、1955年に死刑が確定する
- 平沢は、その後も囚われの身として過ごし、晩年の1985年に八王子医療刑務所へと移される
- 彼は独房の中で絵を描き続け、自身の無実を訴える手記を残している
- そして1987年5月10日、平沢貞通は95歳で生涯を終えた
流れで見る帝銀事件は冤罪か?平沢貞通と消えた旧軍関係者の謎
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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その男は「防疫班」として現れた
1948年1月26日、人々がまだ戦争の傷跡を引きずりながらも復興へと歩み始めていた頃
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名刺が語る捜査線
事件直後、警察は大規模な捜査本部を設置し、犯人の行方を追った
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毒物のミステリー
最大の問題は、犯行に使われた「毒物」の正体について、議論が決着していないことだ
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消えた「旧軍関係者」とGHQの介入
特に疑われていたのは、「登戸研究所」と呼ばれた陸軍の第九技術研究所だった
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永遠の未解決事件
代わって前面に押し出されたのが、平沢貞通による単独犯行とする見方だった