教育勅語は、明治日本の教育を半世紀規定した315文字の勅語です。成立の背景、井上毅と元田永孚の起草、12の徳目、戦後の失効確認までを、史料にもとづき平易に整理します。
この記事のポイント
- 明治初期の教育混乱と教育勅語が必要とされた背景
- 井上毅と元田永孚による起草過程の知られざる攻防
- 教育勅語に書かれた12の徳目とその真の意味
- 天皇制教育の確立と軍国主義教育への変質
- 戦後の法的効力の失効確認と現代まで続く評価の論争
なぜ教育勅語は生まれたのか?明治初期の教育混乱
1890年10月30日、明治天皇の名で一つの文書が発表されます。それが教育勅語です。
- 日本は西洋に追いつくため、急速な近代化を進めていた
- 教育の内容をどうするか、という根本的な問題
- 伝統的な儒教思想や日本の道徳を重んじる人々から、このままでは日本の良き伝統が失われてしまう、という批判の声が高まった
- 西洋の個人主義的な考え方と、日本の伝統的な忠孝思想
教育勅語はこうして作られた!井上毅と元田永孚の知られざる攻防
教育勅語の作成は、1890年の初めから本格的に始まります。この作業の中心には、二人の人物がいました。
- 彼は儒教的な道徳観を重視し、忠君愛国の精神を教育の中心に据えるべきだと考えていた
- 井上毅は西洋法学を学んだ近代的な官僚である
- 大日本帝国憲法では信教の自由が認められている
- 教育勅語は、時代を超えて通用する普遍性を持つべきだ、と
教育勅語の内容とは?12の徳目を読み解く
では、教育勅語には実際にどんなことが書かれていたのでしょうか。315文字の中に込められた内容を、分かりやすく見ていきましょう。
- 教育勅語は、大きく三つの部分から構成される
- 次の中心部分では、国民が守るべき12の徳目が列挙される
- 人間関係では、夫婦は仲睦まじく「夫婦相和」、友達とは信じあう「朋友相信」が示される
- もし国に危機があれば、勇気をもって公のために尽くし、天皇と国家を支えなさい――そう結ばれている
教育勅語が日本社会に与えた影響!天皇制教育の確立
教育勅語の発布は、日本の教育に革命的な変化をもたらしました。それは単なる道徳教育の指針にとどまらず、日本社会全体の精神的支柱となっていったのです。
- 教育勅語をもとに、「修身」という新しい科目がつくられる
- たとえば、親孝行については、親の言いつけを守った子どもの美談が紹介された
- 教師は単に知識を教えるだけでなく、教育勅語の精神を体現する存在であることが求められた
- 教育勅語の精神は、学校を出た後も国民が守るべき道徳として定着していいた
戦後の失効確認と現代に残る議論!教育勅語をどう評価するか
1945年8月15日、日本は敗戦を迎えます。これは教育勅語にとっても、終わりの始まりでした。
- 戦後、連合国軍最高司令官総司令部――GHQは、日本の民主化を進めるため、教育の改革に乗り出する
- 日本政府の中でも意見が分かれていた
- 1946年1月1日の詔書、いわゆる人間宣言により、天皇の神格化が否定された
- 1948年6月19日、国会は教育勅語がすでに効力を持たないことを確認した
流れで見る教育勅語発布
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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なぜ教育勅語は生まれたのか?明治初期の教育混乱
1890年10月30日、明治天皇の名で一つの文書が発表される
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教育勅語はこうして作られた!井上毅と元田永孚の知られざる攻防
教育勅語の作成は、1890年の初めから本格的に始まる
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教育勅語の内容とは?12の徳目を読み解く
315文字の中に込められた内容を、分かりやすく見ていく
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教育勅語が日本社会に与えた影響!天皇制教育の確立
教育勅語の発布は、日本の教育に革命的な変化をもたらした
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戦後の失効確認と現代に残る議論!教育勅語をどう評価するか
1945年8月15日、日本は敗戦を迎える