鎌倉時代、巴御前を超える最強の女武将がいたことをご存知ですか?今回は、鎌倉幕府軍を恐怖の底に叩き落とした「板額御前」と、彼女が躍動した建仁の乱について解説します。
この記事のポイント
- 鎌倉幕府を震え上がらせた最強女武将「板額御前」の正体
- 巴御前と比較される「百発百中」の強弓伝説
- 城長茂の反乱と建仁の乱の全貌
- 処刑寸前で起きた劇的なプロポーズの真相
- 女武将が歴史に残した意義
反乱の狼煙
物語の舞台は、正治3年、西暦1201年の京都から始まります。当時の都には、不穏な空気が漂っていたのです。
- 前年の正治2年、鎌倉幕府の有力御家人であった梶原景時が、他の御家人たちからの弾劾を受け、一族もろとも滅ぼされるという事件が起きた
- 「梶原景時の変」と呼ばれるこの粛清劇は、幕府内のパワーバランスを大きく崩し、景時の庇護を受けていた武士たちを絶望の淵に追いやった
- 越後国の有力豪族である城氏の一族であった
- 平家滅亡後、長茂は頼朝の捕囚となり、梶原景時のもとに預けられる
越後の女傑、覚醒
京都での長茂の反乱の報は、すぐに越後国へと伝わりました。ここには、長茂の甥である城資盛をはじめ、城氏の残党が身を寄せていたのです。
- 資盛は、叔父が都で挙兵したことを知り、我らも続くと一族を鼓舞したという
- 彼らが拠点としたのは、越後国の鳥坂城である
- 板額御前は、城長茂の姉、あるいは妹とされ、資盛の叔母にあたる女性であった
- 彼女は髪を結い上げ、鎧兜に身を包み、男勝りの武者姿で最前線に立った
敗北、そして捕縛
攻めあぐねる幕府軍の中で、藤沢清親という武将が動きました。彼は手勢を率いて、密かに城の裏手の山へと回り込みます。
- 板額御前は櫓の上で弓を構え、眼下の敵を睨みつけていた
- 不意を突いた一矢は板額の太腿を射抜き、彼女はその場に崩れ落った
- 板額がやられたと叫ぶ声が城内に響き渡り、守備兵たちはパニックに陥る
- 幕府軍は雪崩を打って、城内へとなだれ込んでいく
まさかのプロポーズ
建仁元年6月、板額御前は鎌倉殿・頼家の御所に引き出されました。そこには歴戦の御家人たちが居並び、その胆力に驚いたと『吾妻鏡』は記しています。
- 理由を問われると、義遠は、あのような剛の者を妻にすれば、きっと強く逞しい男子が生まれるだろうと答えた
- これには頼家も笑って許し、板額御前の身柄を彼に預けることにした
- 彼女自身がこの時、何を思っていたのかは、記録には残っていない
- 波乱に満ちた彼女の前半生は、ここで一つの終わりを告げた
その後の板額
浅利義遠の妻となった板額御前は、夫の領地である甲斐国へと移り住みました。
- そこでの彼女の生活がどのようなものであったか、詳しい記録はほとんど残されていないのが現状
- 鳥坂城の櫓から矢を放ち、幕府軍を恐怖させた激しい戦いの日々が、かつてはあった
- 出身地である新潟県や、戦いのあった鳥坂城跡周辺でも、彼女は郷土の英雄として語り継がれている
- 後世には、巴御前と並べて語られ、女傑の代表格として紹介されることもあった
流れで見る建仁の乱とは?鎌倉幕府を恐怖させた「百発百中」の女武将・板額御前の正体
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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反乱の狼煙
物語の舞台は、正治3年、西暦1201年の京都から始まる
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越後の女傑、覚醒
ここには、長茂の甥である城資盛をはじめ、城氏の残党が身を寄せていた
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敗北、そして捕縛
攻めあぐねる幕府軍の中で、藤沢清親という武将が動いた
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まさかのプロポーズ
建仁元年6月、板額御前は鎌倉殿・頼家の御所に引き出された
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その後の板額
浅利義遠の妻となった板額御前は、夫の領地である甲斐国へと移り住んだ