教科書だけでは分かりにくい「平清盛と日宋貿易」の世界へようこそ!この動画では、平安時代末期に武士のトップに上り詰めた平清盛が、なぜ中国の宋との貿易に力を入れたのか、その莫大な富がどのように平家を繁栄させ、そしてなぜ滅亡へと導いたのかを分かりやすく解説します。
この記事のポイント
- 平清盛が武力だけでなく海の経済に積極的に目を向けた理由
- 平安時代のお金がなかった日本の実情と宋銭の衝撃
- 清盛が行った貿易プロジェクトの全貌と港の主導権
- 平家が貿易で築いた豪邸と贅沢な生活
- 貿易が結果的に平家滅亡を招いた理由
なぜ貿易だったのか?教科書では語られない平清盛の狙い
まずは、平清盛がなぜ「貿易」に目をつけたのか、当時の時代背景から見ていきましょう。
- 忠盛が清盛を授かったのは、まだ20代前半の頃
- 清盛の父、忠盛は、海賊討伐などで功績を挙げ、瀬戸内海の制海権を握ることで、早くから交易管理と海上治安維持を通して力をつけていた
- 清盛が決定的に力をつけたのが、1156年に起きた保元の乱と、1159年の平治の乱であった
- 保元の乱は、皇室の権力争いに武士が初めて介入した戦いである
お金がなかった日本と、貿易で溢れる「宋銭」の衝撃
平清盛が貿易に目をつけた背景には、当時の日本の経済状況が深く関係していました。
- 清盛が生きていた頃の日本では、官製の銅銭づくりが止まり、およそ200年もの間、米や布が“お金の役目”をしていた
- 例えば、お米と布を交換したり、馬を食料と交換したり、といった具合である
- 当時の物語に、ある農民が、自分の鞍を売って食べ物や布に交換しようとするものの、なかなかうまくいかない、という話が描かれている
- お隣の国、中国では、宋という国が経済的な大発展を遂げていた
平清盛の壮大なプロジェクト、大輪田泊の改修と港の主導権
平清盛は、宋との貿易を積極的に進めるために、莫大な資金と権力を使って、大規模なインフラ整備に乗り出します。
- 彼は日本の貿易の窓口であった太宰府をあずかる要職、太宰大弐に任じられ、のちには弟の頼盛も現地を担った
- 彼が最も力を入れたのが、港の整備であった
- そこで清盛は、現在の神戸市にあった大輪田泊という港を、大規模に改修するプロジェクトを始める
- 人柱のうわさもありますが、これは物語の域を出ない
富を背景にした強引な政治が招いた悲劇
日宋貿易で莫大な富と権力を手に入れた平氏は、その絶頂期を迎え、京都の政治と社会の要所を強く押さえるようになります。
- 彼らの本拠地となったのは、京都の東山にあった六波羅という場所であった
- 清盛の娘である徳子は、天皇の后となり、清盛は天皇の祖父として、誰もが無視できない影響力を手に入れる
- 特に、平氏が貿易によって得た莫大な富と、それを背景にした強引なやり方は、他の貴族や寺社勢力との対立を深めていいた
- 資盛と藤原基房の行列が衝突した『殿下乗合』は『平家物語』に拠る挿話で、細部は史料により異なる
貿易が招いた平家滅亡の真相と、その後の日本史への影響
日宋貿易で築き上げた莫大な富と権力は、平氏を武士の頂点へと導きました。しかし、その光が強ければ強いほど、その影もまた濃くなっていきました。
- 富そのものより、富を背景にした強引な政治と、後白河院や寺社・地方武士との対立の深まりが決定打になった
- 特に、貿易の利権をめぐる争いは、貴族や寺社勢力との間に深い溝を作る
- 以仁王は、後白河法皇の第三皇子であった
- この令旨は、平氏の専横に不満を抱いていた全国の武士たちに、大きな希望を与えた
流れで見る平清盛と日宋貿易
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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なぜ貿易だったのか?教科書では語られない平清盛の狙い
平清盛がなぜ「貿易」に目をつけたのか、当時の時代背景から確認する
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お金がなかった日本と、貿易で溢れる「宋銭」の衝撃
平清盛が貿易に目をつけた背景には、当時の日本の経済状況が深く関係していた
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平清盛の壮大なプロジェクト、大輪田泊の改修と港の主導権
平清盛は、宋との貿易を積極的に進めるために、莫大な資金と権力を使って、大規模なインフラ整備に乗り出する
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富を背景にした強引な政治が招いた悲劇
日宋貿易で莫大な富と権力を手に入れた平氏は、その絶頂期を迎え、京都の政治と社会の要所を強く押さえるようになる
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貿易が招いた平家滅亡の真相と、その後の日本史への影響
日宋貿易で築き上げた莫大な富と権力は、平氏を武士の頂点へと導いた