織田信長の経済政策として有名な楽市楽座。実は信長が最初ではなく、六角定頼が1549年に始めたものでした。座の独占を打破し、自由市場を作り出したこの政策が、日本経済をどう変えたのか。安土城下の13ヵ条の法令から、関所の撤廃、そして豊臣秀次への継承まで、詳しく解説します。
この記事のポイント
- 中世の座とは何か。商人たちの独占システムの実態
- 六角定頼と今川氏真が信長より先に楽市を始めていた事実
- 織田信長が楽市楽座を大々的に展開した4つの理由
- 安土城下で発布された驚くべき13ヵ条の法令の内容
- 楽市楽座が日本経済にもたらした革命的な影響
商売の独占!中世の座とは何だったのか
楽市楽座を理解するには、まず当時の商業システムを知る必要があります。現代の私たちは、手続きを済ませて商品を仕入れれば、誰でも自由に商売を始められるでしょう。
- 鎌倉時代から室町時代にかけて、日本には座という仕組みがあった
- 座の最大の特徴は、販売の独占権を持っていた点である
- 商人たちは、朝廷の貴族や有力な寺社を本所という後ろ盾にした
- 京都の大山崎にあった油座は、石清水八幡宮が本所であった
革命の始まり!六角定頼と楽市のルーツ
楽市を最初に始めたのは信長ではありません。先駆者は、近江国の戦国大名、六角定頼です。
- 六角定頼は1495年、近江の守護大名である六角高頼の次男として誕生した
- その一つが、1523年に実施した城割と呼ばれる政策
- 城割とは、領国内の各地にあった家臣の城を壊して数を減らし、家臣たちを本拠の観音寺城下に集めて住まわせるも
- そして1549年、定頼は画期的な政策を打ち出する
織田信長が楽市楽座を大々的に展開した理由
織田信長が最初に楽市令を出したのは、1567年10月です。この年、信長は美濃国を平定し、稲葉山城を岐阜城と改めます。
- 加納の市場に来る商人の往来を妨げてはならない
- 当時、信長は美濃を制圧したばかりで、戦乱で荒廃した土地を復興させる必要があった
- 翌1568年9月、信長は再び加納に制札を出する
- 信長の野望と深く結びついている
自由市場の誕生!安土城下の驚くべき制度
織田信長の楽市楽座政策の集大成といえるのが、安土城下の制度です。
- 1576年、信長は琵琶湖のほとりに壮麗な安土城の築城を開始した
- その内容は、当時としては驚くほど先進的なものであった
- 第一条は、安土の町を楽市とし、座の特権や諸役、裁判に関わる負担などをすべて免除するというも
- 商人は道中で泊まることを禁じられ、必ず安土の町に宿泊するよう定められた
楽市楽座がもたらした日本経済への影響
楽市楽座は、日本の経済と社会に大きな影響を与えました。
- 座の独占が崩れたことで、新しい商人が次々と市場に参入した
- 関所の撤廃により、物流が格段にスムーズになった
- 楽市楽座を実施した城下町には、商人や職人が集まり、目に見えて発展していく
- 座が決めていた価格は、楽市楽座によって、市場の動きに委ねられるようになった
流れで見る楽市楽座はなぜ必要?織田信長の城下町経営
動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。
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商売の独占!中世の座とは何だったのか
楽市楽座を理解するには、まず当時の商業システムを知る必要がある
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革命の始まり!六角定頼と楽市のルーツ
先駆者は、近江国の戦国大名、六角定頼
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織田信長が楽市楽座を大々的に展開した理由
織田信長が最初に楽市令を出したのは、1567年10月である
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自由市場の誕生!安土城下の驚くべき制度
織田信長の楽市楽座政策の集大成といえるのが、安土城下の制度
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楽市楽座がもたらした日本経済への影響
楽市楽座は、日本の経済と社会に大きな影響を与えた