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動画の概要

教科書だけでは分かりにくい「遣唐使の派遣」の世界へようこそ!この動画では、今からおよそ1400年も昔、日本がなぜ命がけで唐へ船を出したのか、そして、その知られざる旅路が日本に何をもたらしたのかをざっくり解説します。阿倍仲麻呂や空海、最澄といった偉人たちが経験した過酷な航海と、彼らが日本にもたらした文化の数々を初心者向けに分かりやすく深掘りします。 この動画でわかること: - なぜ危険な航海を冒してまで遣唐使を派遣したのか、その歴史的背景 - 遣唐使船の構造や、空海らが経験した過酷な旅路 - 唐で活躍した阿倍仲麻呂や井真成の知られざる物語 - 吉備真備、空海、最澄が日本に持ち帰った先進的な知識と文化 - 遣唐使が「廃止」ではなく「停止」された理由と、その後の日本文化への影響 このチャンネルでは、教科書だけでは理解しにくい歴史を、ざっくり・わかりやすく解説するシリーズをお届けしています。 もしこの動画が面白かったら、いいねとチャンネル登録をお願いいたします。また、コメントで「あなたが最も興味を惹かれた遣唐使の発見」を教えてください。 VOICEVOX Nemo ※本動画は、YouTubeチャンネル「歴史ラボ」の公式アーカイブ動画です。 YouTube上で公開を終了した過去の動画を保存・公開しています。

動画のポイントを記事で整理

教科書だけでは分かりにくい「遣唐使の派遣」の世界へようこそ!この動画では、今からおよそ1400年も昔、日本がなぜ命がけで唐へ船を出したのか、そして、その知られざる旅路が日本に何をもたらしたのかをざっくり解説します。阿倍仲麻呂や空海、最澄といった偉人たちが経験した過酷な航海と、彼らが日本にもたらした文化の数々を初心者向けに分かりやすく深掘りします。

- なぜ危険な航海を冒してまで遣唐使を派遣したのか、その歴史的背景- 遣唐使船の構造や、空海らが経験した過酷な旅路- 唐で活躍した阿倍仲麻呂や井真成の知られざる物語- 吉備真備、空海、最澄が日本に持ち帰った先進的な知識と文化- 遣唐使が「廃止」ではなく「停止」された理由と、その後の日本文化への影響

この記事のポイント

  • 今からおよそ1400年も昔、日本は隋という国に使いを送っていた。これを遣隋使と呼びますね
  • 遣唐使の旅は、まさに命がけであった。当時の航海技術は未熟で、遣唐使船は、波の荒い東シナ海を渡るにはあまりにも危険なものであった
  • 遣唐使として唐へ渡った人々の中には、日本に帰国することなく、唐でその生涯を終えた者も少なくなかった
  • 遣唐使の旅は、日本の政治や文化に大きな変革をもたらした。それは、遣唐使として唐へ渡り、先進的な知識や技術を日本に持ち帰った人々がいたからである

なぜ、船を出したのか?遣唐使の始まりと目的

今からおよそ1400年も昔、日本は隋という国に使いを送っていました。これを遣隋使と呼びますね。

  • 隋が滅びて唐という大国が誕生すると、日本は今度は遣唐使を派遣するようになる
  • その目的は、大きく三つあったと考えられている
  • 一つ目は、唐の先進的な政治制度や文化、技術を学ぶことであった
  • 当時の東アジアでは、唐を中心に国際秩序が形成されていた

命がけの旅路!遭難続出、遣唐使船の過酷な航海

遣唐使の旅は、まさに命がけでした。当時の航海技術は未熟で、遣唐使船は、波の荒い東シナ海を渡るにはあまりにも危険なものでした。

  • 当時の遣唐使船は、全長は約30メートル、幅は8〜9メートル程度と推定されている
  • 遣唐使が始まった初期は、朝鮮半島沿いの比較的安全な北路を通っていた
  • 804年に派遣された遣唐使には、かの有名な空海と最澄が乗っていた
  • 733年に派遣された遣唐使の一員であった平群広成は、帰国途中に嵐に遭い、船がばらばらになってしまう

唐に咲いた日本の花、阿倍仲麻呂と井真成の物語

遣唐使として唐へ渡った人々の中には、日本に帰国することなく、唐でその生涯を終えた者も少なくありませんでした。

  • 彼は、717年、今からおよそ1308年前の遣唐使に同行し、唐の都、長安で学問を修めた
  • どれほど異国の地で成功を収めても、仲麻呂の心には、故郷への強い想いがあった
  • 仲麻呂が帰国を願い詠んだと伝えられる「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」という歌は
  • 阿倍仲麻呂だけでなく、唐に渡った無名の留学生の中にも、異国の地で才能を開花させた人物がいた

天才たちの学び舎!吉備真備、空海、最澄が持ち帰ったもの

遣唐使の旅は、日本の政治や文化に大きな変革をもたらしました。それは、遣唐使として唐へ渡り、先進的な知識や技術を日本に持ち帰った人々がいたからです。

  • 彼は、717年に阿倍仲麻呂と同じ船で唐へ渡った
  • 彼は、遣唐使として日本に渡ったわけではありませんが、日本の僧侶からの度重なる要請を受けて、日本に仏教の戒律を伝えるため、渡日を決意した
  • 彼らは、804年の遣唐使に同行した
  • 彼らが命がけで持ち帰った膨大な知識と文化は、その後の日本の歴史を形作る上で、大きな礎となった

遣唐使はなぜ「停止」された?菅原道真の決断と唐の衰退

200年以上にわたって続けられた遣唐使の派遣は、894年、ある人物の提言によって停止され、その歴史に終止符が打たれることになります。

  • この年、遣唐使が派遣されることになった際、道真は、遣唐大使という、遣唐使のトップの役職に任命された
  • その理由は、大きく二つあったと考えられている
  • 当時の唐は、内乱が相次ぎ、国力が大きく衰えていた
  • この道真の提言は、一般的には遣唐使の廃止として知られている

遣唐使が残したもの、そして日本文化の夜明け

遣唐使の歴史は、894年に幕を閉じましたが、彼らが日本にもたらしたものは、その後も日本の歴史に大きな影響を与え続けました。

  • 遣唐使が持ち帰った律令の知識は、後の大宝律令や養老律令といった、日本独自の法律や政治システムの基盤となった
  • 空海が伝えた密教は、日本の思想や芸術に深く影響を与え、最澄が伝えた天台宗は、後の鎌倉仏教へと繋がっていいた
  • 遣唐使は、文字や文学、美術、音楽、建築技術など、あらゆる分野の知識を持ち帰った
  • よく「遣唐使の廃止によって、大陸からの文化流入が途絶え、日本独自の国風文化が花開いた」と言われますが

流れで見る遣唐使

動画全体の流れを、章立てに沿ってざっくり整理しています。

  1. なぜ、船を出したのか?遣唐使の始まりと目的

    今からおよそ1400年も昔、日本は隋という国に使いを送っていた

  2. 命がけの旅路!遭難続出、遣唐使船の過酷な航海

    当時の航海技術は未熟で、遣唐使船は、波の荒い東シナ海を渡るにはあまりにも危険なものであった

  3. 唐に咲いた日本の花、阿倍仲麻呂と井真成の物語

    遣唐使として唐へ渡った人々の中には、日本に帰国することなく、唐でその生涯を終えた者も少なくなかった

  4. 天才たちの学び舎!吉備真備、空海、最澄が持ち帰ったもの

    遣唐使の旅は、日本の政治や文化に大きな変革をもたらした

  5. 遣唐使はなぜ「停止」された?菅原道真の決断と唐の衰退

    200年以上にわたって続けられた遣唐使の派遣は、894年、ある人物の提言によって停止され、その歴史に終止符が打たれることになった

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